かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

学童記(ある年の記録12月)

12月

December 01
『みんなの話』
今年のラスト一ヶ月を前にして、目標の舵を大きく取るときかもしれないと思っています。

あいさつ、てあらい、かたづけ
(これが今年度当初の目標。もはやみんな身に付けつつあるように思う。
あいさつ、てあらい、かたづけを嫌な気持ちで注意した最後の記憶はもう夏前のような気がする。)

これと同時に、

読み、書き、そろばん

もあったように思う。
(これは、学校教育かなとも思うけど、育てたいなとは思いますよね。
宿題をちゃんとやらせたり、日記をしたりと。)

と、そうして!!
これを全部ひっくるめて、改めて、

学童での目標に、

「見る、聞く、話す」

を持ってきたいです。

現代っ子に必要なものです。
帰りの会では、みんなの話のコーナーを設けてみました。
一応、日に日に聞く力は上がっています。
また、話す子にもバリエーションが。

おうちでも、この3つ「見る、聞く、話す」の強化のご協力を。
見ている、聞いている、話せているときに、ズバッとその行いを認めてあげてください!

December 04
『昨日、地球に素直さが降り注いだ』
表題は昨日の天気です。
「曇りのち雨のち素直さ」みたいな。

何をもってしてそうなのかは分からないが、今日の子どもたちの素直さは郡を抜いていたように思う。
(夜のうちに素直さの星、光が降り注いだか、もしくは、降り注いだ妖精が子どもたちの中に入ったか。)

これは、個々の素直さの低い高いというよりは、全体として全員が素直的だったことからそう思うのかもしれない。

もちろん子どもはいつも素直なのだけれど、
それでも、何かと迷いの多いご時世なので子どもたちは素直さから離れてしまうときもなくはないと。

思う。

この全体が一致して素直である要因がなんなのか。これを知り得て、なんとか子どもたちがいつも素直に過ごせるようにできたらいいのにと強く思う。

個人的には、周囲の大人が優しくて安心できるから素直でいられたと思いたい。
12月に入り、今年もあと一ヶ月というところで、
ある意味腹をくくるというか、目標を明確にするというか、あと一ヶ月頑張るぞという気合いを入れたか、
何かしら大人が分かりやすい態度に突入したために、子どもが安心し、その分かりやすさに優しさを感じ、行き先が分かったために素直になれているとかそういうことだ。

この間中テレビでも目にした人がいると思うが。
アランの『幸福論』で、「なぜ人は礼儀正しくすべきか。」という話で、

もし不機嫌に振る舞えば。
たとえば、レストランでウェイターに不機嫌に接すれば、
そのウェイターは家で奥さんを殴るかもしれない。と。

この場合、ウェイターが子どもであって、
さまざまな場面で、周囲の人に美しい態度で接してもらっていれば、
子どもは、素直に反逆することなく、素直でいられるということだ。

とにかく、こうまたいろいろ言いたくなるぐらい、今日は子どもらしい素直さを感じずにはいられない日だった。

どうしてか、とても気になる。12月マジック。

どう素直かという一端をお話すると、
一つは、「宿題を家でやりなさいとお母さんに言われている」という以前も父母会で取り上げたようなことなのだが。
最近は、帰って来たら宿題というのが定着しつつある。
これはやらせているのではなく、自分からである。
ただ、数人は、変わることがまだ出来ていない子(これから出来る)もいて、
やっぱり、「みんながやっているときに、自分だけ遊んでいていいのか」と問いたくなる。

今日も聞いてみると、
「お母さんが……。」と。
それはそれでいいとして、ただ、当人はどう思うのかと聞いてみた。
「あなたは、どうしたら一番良いと思うの?」と。
となれば、大体の子は、"やる"で決着がついてしまうのですが、
その子は、

「じゃあ半分やる。」
って言ったんです。

美しいです。エクセレントです。
真剣に考えて向き合わないと出てこない答えだと思います。
自分と親の話したこととのせめぎ合いの間を取れる案を導ける。
これは、本当に凄いです。
素直じゃなければできないことです。

私は、そこに面倒くさいとかでなく、本人なりの根拠、話せる理由があれば、本人の意思で合っていると思う人です。

結局その子は、
「全部やっちゃった」
と言って、宿題を終えました。

もう一つも、可憐でした。

私が1年生の女の子に算数を教えていました。
すると、2年生の女の子が一人寄って来て、近くに座りました。
よくその2年生の女の子が教えてくれているのです。
けれど、2年生の女の子は、私と1年生を見ているだけでした。
まず、この"自分が自分が"じゃないところが花丸だと思いました。

1年生の子ができるようになるために教えているのですから、
自分が教えるかどうかは関係ないのです。
(もちろんそういう自尊心がほしいという動機もあると思いますが。)

できることが素晴らしくて、合ってれば偉いと思っている子は、
急に入ってきて、急にぐちゃぐちゃ言って、終いにはなんでできないの、
とか言い出しかねないこともあります。
(勉強っていうのは、できない人にできないって言うためにやっているものではありませんし、自己有能感をしらしめるためでもありません。)

そのあとも15分くらいジッと見ていました。
これは、自分より分かりやすい方法で教えているという風に見たのだと思います。
この、自分より良いものを認めるのって相当な素直さが必要です。凄いです。

その後、そのかかわりの中で2年生の子は自分がやって邪魔にならないことを発見し、わずかに手伝いました。
その観察眼、思考、愚直さも素晴らしいです。私もやってみたいとかではなく、自分が邪魔にならずにできることを見出しているのです。

そして、たった20問の中で1年生はきちんと成長したシーンがありました。
その瞬間の私と2年生の興奮は一致していました。

そして、最後の一問は、2年生に任せました。
スムーズにこなしていました。

こんなに誰かのために時間を使って、吸収して、喜べる素直さに、当たり前に敬服します。

本当に、どうしてこんなにも素直を発現できるのか。
心当たりでもいいから、意見を聞いてみたいくらいです。
たとえばね。

December 05
『12月の目標』
一応決まったので記しておきまする。

①はなしをきく
(ふざけない、はなしているひとをみる、さいごまで、しせいをくずさない)

②ひとをきずつけることばをいわない
(けんかにきをつける、いたずらとかしない、かえりのかいとかにあそばない)

③ものをたいせつにする
(ロッカーのなかをかたす、ちゃんとかたしてからそとにでる、つかったものをすぐかたす、よくそうじする)

④その他
(ドッチボールをがんばる、しゅわをしながらうたう、とびださない、どうろをはしらない、ドアをしめる、
がくどうのなかをはしらない、あいさつ)

以上です。

交通事故ネタも一部根強く心配です。
①は当たり前のこととして、②・③は大きな課題です。

December 06
『かんかくをかく』
日記をして良かったことはいくつかあって、

それは、
その子らしさを垣間見れるときがあることと、
字を書くのに抵抗が減ったことと、
誉める瞬間が増えたことだ。

なんとなく、宿題よりは楽しそうに一生懸命書いているように思う。

幼いころに回りにどんな人がいて、自分はどんなことを思っていたのか。

そんなものは消えてしまった方が良いのかもしれないけれど、
私は悔いている。

なんにも思っていなかったら、思っていなかったでいいのだけれど、
その証拠がほしいなとほんのわずかばかし思うのだ。

シーンとしてはいくつか思い出せるけれど。
それで、美しいのだからいいじゃないかとも思うけれど。
できるだけ形で残せたら良い。

幼い自分が一生懸命に怒ったり、悲しんだり、喜んだり、遊んでいた証拠を見ると、
いつか、今を楽観視できる気がする。

ここでは、文章表現の指導はしていないつもりなので、あまり嘘が出てこない。
何にもない日は、適当に書かれやすいし、
本当に気合いの入った日は、熱心に表現が選ばれる。

もちろん長くやっていれば、自分を見つめるのが上手くなってきて、
細かいところに気づくこともある様子。

「きょうは、しゅうじをしました。でもいつもよりながかったです。
でもじかんがはやかったです。」

まるでなぞなぞなのだけどいいなって。

December 07
『怪我』
本日は、怪我がありました。

室内でじゃれあっていて、頭を机にぶつけて、少し切れました。

大変悲しく思います。申し訳ありません。

12月には、何かいるような気がします。

態度を引き締めて、落ち着かないと嫌な雰囲気です。

保育園で子どもが走り回ってあぶないなぁと思う保育園は、先生の歩く速度が速かったというのを聞いたことがあります。

もしかすれば、私たちが落ち着きさえすれば、子どもたちも落ち着いて安らかに過ごせるのかもしれないと思います。思いたいです。

身を慎む。

December 08
『虫と手話3』
3度目の手話である。

手話の日の話に関しては良い報告ができない。
話を聞く態度がよろしくないのだ。

うーむ。

今回は2度あることはだったと思おう……。

手話が終わって、子どもたちに「おやつ」と「外遊び」を選ばした。

子どもは、全員一致で「外遊び」だった。
わずか15分だけれど、外を選んだ。

子どもたちの遊びたいというエネルギーはこれほどなのである。
私はこれを阻止するとバチが当たるような気がする。

帰りの会では、虫の話をした。

「○○のいどころがわるい」
そういうことばがある。

「むし」とは出てこなかった。

辞書の意味としては、
「気持ち、感情の深い部分にあるもの。」

私は、心の奥に虫がいると昔のひとは思ったと言ってしまった。

みんなの中に一匹虫がいて、みんなを動かすときがあると。

昨日もケガがあったけど、そういうときね、みんなの中の虫があばれているのかなと思うよと。

みんなに悪さする虫がいたら気づいて止めてと言いました。

良い虫を飼おうよと。

むしできないぜ!!

12月ってのは落ち着かないものでしょうかね。
ムードを改新したいですわ。

December 11
『ドッチボールリーダー』
ドッチボール大会のリーダーを決めよう!ということで……。

一足早く選挙が始まった!?

候補者は7名。

4年生、3年生から1名ずつ。
そして、2年生から4名。
1年生から1名です。

果たしてどうなるのか。
各者のアピールが始まりました。

4年生
「ドッチボールリーダーになったら、
月曜日と金曜日に練習して、
みんなを優勝させます。」

力強いです。

3年生
「ドッチボールリーダーになったら、
みんなで練習をして、
強くなって優勝したいです。」

みんなで練習して強くなると。

2年生
「ドッチボールリーダーになったら、
週2回くらい練習をして、
みんなを優勝できるようにしたいです。」

優勝できるようにするそうです。

2年生
「ドッチボールリーダーになったら、
いつもいっぱいあてたり、よけたり、
かつやくしたいです。」

なるほど……。

2年生
「ドッチボールリーダーになったら、
週5回くらい練習をして、
川和学童を優勝させたいです。」

優しさのある言葉。

2年生
「ドッチボールリーダーになったら、
毎日練習して、1年生も2年生ぐらい強くして、
女の子も参加して、もっと活躍できるようにしたいです。」

唯一女の子。今足りないものが見えているように思います。

最後
1年生
「週3回くらい練習をして、
6年生とか当てられるようにしたいです。」

本番を見据えているのが素晴らしいです。

結果はどうなったかと言うと、
これは、子どもに聞いてもらえると良いかもしれないなぁと思います。

December 12
『焼き芋』
本日は、天気もよく、風も微風ということで、ついに決行となりました!

焼き芋です。
ありがたいです。

お昼頃から、良い灰を作るために火を焚いて用意をしてくださいました。

出来上がる頃に子どもたちと外でもらって食べました。
寒くても熱くておいしかったです。

今年はじめて外で食べられたので楽しかったです。

子どもたちのお芋を食べ終わった後の切り替えが素早すぎて、気になりましたが、

「子どもだからいいんだよ」と笑顔で言ってもらって、本当に申し訳なくありがたいです。

焼き芋を外でみんなで食べたことは、一生忘れないことだと思います。

かけがえのない時間を作っていただいて、感謝です。

そう、おいしいってか、嬉しいっていう思い出。

December 13
『バランス、優先順位』
本日は、帰る帰らないのバトルがほんの少しありました。

もうお迎えに来ていたのですが、なかなか帰らないのです。
親御さんもしびれを切らしていました。

しばらくして、強行した子が一人いました。
それは、テレビを見るためだったのですが、
テレビをつけたら余計帰らなくなる恐れがあったので、せめて帰ってからにしようと言ったのでした。

そうして、手を引っ張って帰るよと言ったとき、
一人の男の子が、
「そんな無理矢理じゃダメでしょ」
と言いました。無類の正義の味方でした。

その通りですよね。
私は、ややブレ気味でした。
さすがにもう無理矢理にでも帰らせるべきなのではないかという風に揺れていたのです。

大人の都合で優先順位をつけるのは悪い癖だったりしますね。
それもバランスですが。

子どもはよく分かっているなと思いました。
バランスより、白黒だからかもしれませんが。

大人はバランスを考えて行動しがちですが、
本当に必要なことは、シンプルに大切なことを大切にするというだけなのかもしれないとも思います。
私たちに時間が足りないだけなのか。

子どもは、目の前の人間一人ひとりを大切にするという優先順位をもっています。
バランスなんてお構いなしです。
今、私たちがもつべき優先順位、そのバランスはどうあるべきなのか問われるように思います。

December 14
『なんのためにうまれて、なにをしていきるのか』
アンパンマンの歌詞ですね。

このあとは、

「こたえられないなんて そんなのはいやだ」

となり、大人は少したじろぎたくなるような言葉なのですが。
子どもも答えられないでしょう。

しかし、子どもは「応えて」はいるかもしれないと。
そんなことを思ったのです。

おにごっこをやりたがっている女の子がいて、やろうと思ったのですが、
他にお迎えの来た子がいて、その子が帰ってからはじめた方がいいんじゃないかと話していました。

その子が帰る方が生活として優先されるべきで、その子のためになるという判断があるわけです。

一つ上の優しさを感じました。
すごく洗練された、波も濁りもない、シンとした湖のような、静かでおおらかな優しさです。
空気が冷たかったからかもしれませんが、
そういう凛とした混じりけ狂いのない優しさを感じました。

子どもたちは子どもたちなりに、優しさのルールをもって大人の手の届かないところでコミュニケーションをしてかかわり合って生きているとも思いました。

「ある子がよりよく過ごすために、自分の行動を選べるということ」

「なんのためにうまれて、なにをしていきるのか」
の答えは、

「ある子がよりよく過ごすために、自分の行動を選べるということ」
これ以外ないような気がするんです。

それを答えられなくとも、体現し応えているのが子どもたちなのだと。

美しすぎて感服。

December 18
『手話4』
手話最終回です。

手話の先生もいろいろと工夫してくださって、子どもたちがより集中できるように考えてくれています。
その優しさは本当に有り難いものです。胸に染みます。

それに 加えて子どもたちは、もう!と言いたいところですが、
子どもたちなりに頑張っているのでしょう。

毎回進歩が見えます。あと3回あったら、優しく人の話を聞ける子どもになれたかもしれません。

けれど、先生方の工夫もあって無事終わりました。

基本的生活習慣を身につけることが終わりつつある今、
次の段階として、実践的生活習慣(勝手にそう言ってみただけです。すみません。)『見る・聞く』を「あいさつ・てあらい・かたづけ」のように当たり前にできるようになってほしいです。

少し虚しい話ですが、
結局できる・できないの差は、「見る・聞く」の違いだけな気がします。
言い換えれば、大人が見せられるか、聞かせられるかの差になりますが、
大人がみんな上手に見せられたり、聞かせられるわけではないので、
誰からでも学び吸収できるようにするためには、やっぱり子ども自身に、「見る・聞く」で世界が最高に変わるよ、めっちゃできるようになるよ、できたらすごいよと伝えてできるようになってもらう他ないように思います。

練習は、あと4日しかできないぜ。

December 19
『「カプセル家族」の危機』
ちょっと暗い話を書くので見たくないなぁーって人はスルーしてねっ!

この日、私は休みだったので、この日に読んでた本のことを少し書きます。

表題の通りで、
「カプセル家族の危機」――続発する家庭内殺人
学研新書 著 尾木直樹
です。
尾木ママのメジャーな本だと思います。

読むと、
大人と子どもってなんなのか、
親と子どもってなんなのか、
家族ってなんなのか、
なんのために誰かと生きているのか考えさせられる本です。

家庭内殺人は例として6つの事件が取り上げられ題を見ただけでその背景に大きな悲しみや苦しみがあるのだろうと感じられます。

カプセル家族とは、カプセルの中に入れられてしまったような孤立した家族のことで、
そのカプセル内で家族の一員が家族の一員に対し圧力をかけてしまうことで、
孤立しているために、圧力を逃がすところがなく、
その内圧が上がり爆発してしまうことが家庭内殺人と見られる。

その圧力を、地域でも友達でも分散すれば、爆発せずに済むかもしれないと書かれている。
もう少し具体的に書かれているガス抜きの方法は、「自尊感情を育てる」とある。

(ここからは私見)
自分を尊いと思えるように回りの人が接するということである。
一番はどうしても誉めるがでてくる。
家族の中で、お前はこうしなければダメだ。こうじゃなければならない。
と子どもの人格を否定するような圧力をかければ、それが溜まり溜まって爆発する。
全く反対に、家族の中で、こうしてくれて嬉しい、こうじゃなくてもこうだったら助かると子どもの人格を支えるように接すれば、子どもはいても良いんだと安心できる。
安心すると、人間を信じることができる。
人間を信じることができれば、いろいろな人の話を見たり聞いたりできると思います。
そうして誰かの人生を知ることが、前にも言う愛するということであるならば、
我々の最初で最も重要な使命は子どもを安心させることになります。
安心させれば、他人を愛することができるようになる人間に育つ可能性が高くなるでしょう。

他人を愛せる人間になれたらどうなるか。
それは、「幸せな人間」になれる第一歩ではないかと思います。
そうすれば、高みではなく、天辺を目指せる人間になれると思うのです。

『十五歳少年、両親を「爆殺」』
という項があります。

「爆殺」ってなんだよって。
本当にそうしなれければならないほど追いつめられてしまうときが子どもにあったわけです。
虚しいのは、その後、
『「なぜお母さんを殺してしまったのか」と、涙を流しているという。』
という彼の内省があるところです。
失って理解するにしては、代償がでかすぎます。
なんというか、言葉にできない悲しい恐さを感じます。
それが、人生と言われればそれまでですし、その覚悟に何も言えることはないですが……。
我々の人生には、殺さなきゃ良かったとかありえないです。
そういう、生命の当たり前の真実が伝わらないほど大切にされていない感じがしたり、
苦しかったわけです。

私は、たとえばそれが甘やかしになったとしても、子どものことを、

いやぁ~愛したいね。

と思ったわけです。

December 20
『ラストスパートスパート』
そろそろ、ラストスパートのスパートです。

クリスマスカードをアルバイトの先生のアイデアを加えて完成させます。
今日明日で。

一年生たちも一生懸命作ってくれました。

いつもなんでも頑張れてすごいぜ!!

December 21
『ラストスパート』
昨日に引き続きカード作りと、

そして、あと2日しかないのに、今日やっとステージで練習……。

手話は良いのだけれど、入退場が……!?

この「やりゃいい感」が悲しい。

けど、もうやるしかない!

今年は、1年生も多いというところで、
「元気・情熱ver」です。

元気さ、情熱さで感動を巻き起こします。

December 22
『ラスト!』
もう泣いても笑っても本番は来ます。

お迎えに来たお母さんたちにも見てもらって、
やっぱり少し声が弱まったりするなぁと思ったけれど、

いや、行ける!本番!行くしかない!!

December 26
『クリスマス会』
今年もクリスマス会!楽しく終われました!!

来て下さったみなさん、携わったみなさんありがとうございました!
お疲れ様でした!

子どもたちも頑張ったと思います。

とにかく今年はやっぱり『元気』が素晴らしいという印象でした。
感想にも子どもたちの元気が良いと書かれている方が多かったです。

明日のドッチボールも元気で勝ち進みたい。

December 27
『ドッチボール大会』
まず、今年のドッチボール大会の結果は……

優勝 しました!!

良かったね☆

11月の大会で負けていたのが功を奏したのか。
今回の優勝は、子どもたちの『真剣』さが手にしたものだと考えられます。

昨年のは、『運』という気がしました。
その前の年は負けていて、
その前は『強圧』、さらに前は『努力』の勝利だったと思います。
その一年前は、1勝3敗し(悔し泣きをしていた子もいました。それが、翌年の優勝につながる)、
その一年前は全敗だったそう(たしか)。

今年は、頑張り具合も勝つことに対する気持ちも真っ当で、少し力及ばずかと思いましたが、
神様は見てくれているようです。真剣さを評価してくださったというところです。

毎年、「勝つ人がいるから、負ける人がいる。」と思っていましたが、今年の勝ちはもう少し酔ってもいいのかもしれないと思っています。

というところで。
「どうせやるなら一番を目指して頑張ってほしい。ただ楽しむんじゃなくて、楽しむっていうのは、
一番を狙うからこそすごく楽しいし、試合に勝つからこそすごく楽しい。努力した結果がいい形に表れたときに喜びに変わる。」
と、先日、本田圭介選手が言っていました。

そういう貴重な感覚の片鱗を味わえて良かったなと思っています。

ただ、真剣さのあまり、力が入り過ぎているところもあったかもしれません。
そこは注意でした。

そして、その後、今年も公園で遊べました。
「昨年ここ走って転んだよね。」と言ってみると、
「そう?おぼえてない」と言っていて、
「(そんなもんかぁ)」と思っていたのですが、
同じようなところを同じように走って友だちと
「今のかっこよくなかった?」(転んだ子)とか話しているから面白いです。

転んだって1年経てば転ばないようになる。
成長しない人間はいない。

なんて思って、楽しかったです。

December 28
『遠出』
子どものもつ美しさの塊に私はただただひれ伏してしまうばかりです。

彼らは飢えており、また切望しているのだと思います。

広い 公園を。

今日は、11:30~15:30まで公園にいました。

日向にいる分には寒くなかったから良かったのですが、
子どもたちは、本当はもっといくらでも外で遊べる力を秘めているのだなと改めて思いました。

まぁ一年に数回の大きい公園であるからこそ、普段からの反動で思いっきり存分に遊べるのかもしれません
が……。それにしても楽しそうでした。

誰かが偉い人になって公園を広くしてくれる日が来ることを夢みちゃうなぁって思います。

でも、やっぱりいつも広い公園だと贅沢になってよくないのかな。
悩みどころです。

ドッチボール、サッカー、保育園の子と遊ぶ、凧上げ(ドッチボール大会の戦利品)、リレーをしました。

そう、そして、リレーのときに悲劇は起きるのです。

人数合わせで、2回走る子がいて、その子はアンカーだったのですが、その前の子が走っている時点で負けが確定していました。それを見たチームメイト多数がなぜか、
「負けそうだから、そのまま走れ」と指示しました。
出番を待っていたアンカーさんは、激高でした。
「もう○○!!世界一バカ!!」
スーパーいじけモードです。
けど、しかし、まぁ、いろいろ多めに見て悪いのは○○だけではなくて、みんなが"そのまま走れ"と言ってしまったところでした。
○○には、仕方ない。素直に理由を言いなと言いました。
アンカーさんには、もう一回やろうと言いました。

でも、この場は解決せず。

さぁ、帰るぞー。おやつ買いにも行かなければならないというハードスケジュール。

冒頭の美しさの話は、おやつを神社で食べているときのことでした。

「和解しろよ、○○も理由があったんじゃない?」
「(ぶつぶつ)」
走っちゃった子にも
「なんか言って来いよ」
と言いました。

しばらくして、走っちゃった子が

「これ、食べる?」ってアンカーに歩み寄ったんですね。

この行動以上のものはないですよね。トーンも完璧でした。英語のSorryを和訳した勢いです。
大人だったら、お互いごめんとかやらせて終わらせようとしちゃう気がします。
でも、ごめんとかごめんじゃないとか、ゆるすとかゆるさないの次元じゃないんですね。
わからん!女心!というところで、

そしたら、また
「(ぶつぶつ)」
と言ってアンカーは、他の女の子と別の場所に逃げました。

さすがにお縄を頂戴というところで、アンカーに
「歩み寄って来てくれてんだから、歩み寄れよー、それじゃただの意地悪じゃんかー。」
と言いました。
アンカーは
「ふん」
とか言って、
私は
「もう知らん」
とか言って、そこから離れました。
そうすると、その子がふざけて着いて来て、
「こっち、じゃなくて○○のところに行けよ」
と言いました。

そこから本当に放っておいたのですが、
3分後には、女の子3人で笑っていました。

やっぱり分からん女心!!というオチです。


走っちゃった子みたいな心には、なかなか育たないような気がします。
どうしてそんなことができるのか、秘密を探りたいぐらいです。

普通は言い合って戦っちゃったっておかしくないです。
大人に謝れとか言われて、もやもやっと仲直りしたことにさせられることの方が多い気がします。
もちろん今回も心の底は分かりませんが。

本当に素晴らしいなと思ったのでした。ちゃんちゃん。

December 29
『LAST』
今年最後です。

特別な意識なく、いつもと変わらないのが子どもたちです。

「明日ゲーム持ってきていい?」ってのが子どもたちです。

おやつのときに、今年の一番嬉しかった・楽しかったを言ってもらいました。

最初の一人が
「家でゲーム」って言うから(笑)

多くの子が、
「○○と家でゲーム」という流れが……。

多かったのは、やはり、ドッチボール大会で優勝でした。

あとは、昨日いつもと違う公園で遊んだこと。

なんだよーみんな直近のことばっかりかよー
とも思いましたが、私も振り返っても昨日が一番おもしろかったような気がする。
(昨日いなかった子すみません。)

子ども(というか人間)は(?)、
常に成長していますから、一番成長している最近が楽しい・嬉しいというのは当たり前なのかもしれません。
全員が成長していて、一緒に生活して、常により良くなっていきますから、
最近が一番幸せ感が高いのは当然なのです。

それか、もっともっと美しくて、やっぱりみんなが楽しかったから、自分も楽しいというところで、
みんなが(で)楽しそうだったから、ドッチボール大会や昨日を挙げるのかもしれません。

他にも、今日は大掃除もありました。
公園も掃除しました。

午後公園にいくと、なんとなく違和感があるんですね。
どういう違和感かというと、ゴミが全くないという違和感なのです。
不思議で変なものなのですが、子どもが頑張った証拠でしょう。
昨日公園がきれいだったのは、確かに子どものおかげです(特にある2年生の男の子のおかげ)。

中も頑張りました。特におもちゃを整理していた子はすごく粘り強くやっていました。

いいじゃない!!迎えようか2013年を!!もう首はピカピカになっちまったぜ!!

December 29
『試合』
今日は、ホッケーの試合を見ました。

子どもの会場を一つの空気にしたその瞬間に後光というか、強く輝きを感じました。
素晴らしいファイトでした。

これは、子ども一人ひとりにじんわりと感じていたことですが、

その子に出会えたこと、その子が生きていることに幸せを覚えずにはいられないということ。

それを確かなものにしてくれた。そういう日になりました。

誰かを幸せにするということは、単純ですが簡単ではありません。

それを、涼しい顔でやってのけるのが子どもです。
本当に凄い。

今、そこにあなたがいる喜びをどう表現すれば伝わるのか。
見当もつかないのですが。

人生の景色の明度が2段階ぐらい上がったとか。
本当に嬉しいなぁとか、暖かい感じになったよと。

だから、何って言われそうだけど。
幸せを感じました。

そうして、

子どもたちは、必ず、幸せな人生を歩むのだろうと思います。

なぜならば……は、つづくということで。

習い事チームの試合を時間が許せば行ける人で見に行ったりしたいね!