かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

不安ってなんだっけ(旧:生きるって楽しいじゃん)

 

不安ってなんだっけ。

【はじめに】
 不安とは人間の最大の敵である。不安は、僕らが唯一倒すことのできないもの。
 アンパンマンで言うところのバイキンマンのように。最大の敵だと言える一番の要因は、不安は、「想像でしかない」というところだ。
 
 人は不安から逃れる方へと向かって生きているだけなのかもしれない。
 けれど、逃れずに別の手段や判断で不安をとらえることができたら……もしかしたら、不安は最大の敵ではなくなるのかもしれない。

【不安とは】
そもそも不安ってなんだろうか。平和でない状態。自分が安全でない、安心できない状態だと思う。
本来、人はありとあらゆるところに、ありとあらゆる考えで自由に生きていい。でも、日常は嫌な気持ちや悲しみを起こすことがある。だから、「もしかしたら……かもしれない」と思って不安が募る。
それでも、実際は、私たちに必要なものは何もなく、必要なものはいつも常に目の前に用意されている。実は、私たちは、その目の前の事象を手を伸ばして受け取るだけでいい。

私たちが抱く不安のすべては、その予期できなさに対してである。
実は予期できたなら、幸せが約束されていたなら、私たちは不安を感じないのだ。
「100発100中、明日は楽しい」そう思ったとき、私たちは、なんの不安も抱かないまま早起きして、外へ繰り出す。

【不安についての考え】
 私と不安との歴史は少しだけ長い。
 2006/11/9のブログでは、不安をこんな風に捉えた。
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 人は、不安を永遠に作り出すことが出来る生きものだと思います。
 でも、不安を感じるか感じないかは、自分次第です。
 そして、不安は考えて消えるものではありません。
 不安はどうしたって不安として存在します。

 しかし、実際その不安てなんなんですか?
 今の状態ですか?絶対に自分が作りあげた考えに過ぎない。なんてことはないですか?

 私は、自分勝手な不安を作り上げるのは、もうやめようと思いました。

 自分勝手な不安とは、
 ・今『あるものがなくなったらどうしよう』という不安と
 ・もし『こうなったらどうしよう』という不安です。
 ・もし『こうだったらどうしよう』もありますね。

 つまり、『どうしよう』不安です。これは考えるだけ無駄だと思いました。
考えるということは、とても大切なことです。
しかし、何か自分の行動をするための“考える”をしたいなと思いました。
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
 はじめにも言ったように、不安とは、まったく自分勝手な想像にすぎないのだ。

 そこから、「でも、なんで不安は存在するのだろう?」と思った。
 私は人間に必要のない機能や出来事はないと思っているので、不安には大きな価値があるからこんなものがあるんだと思った。

 実態がないのに、人を落とし込むこの機能は、人間独特の人間だからこそ生み出される、ドロドロした感じがした。すごく暗くて、それでも、人間を人間たらしめる機能なのではないかと。

 そして、だんだんと、そもそも不安が悪いものなのかも分からないなと思った。実態がないから、恐くなってしまうけれど、本当は不安はいいやつなのかもしれないとか。
 私たちは、不安がどこから来るのか分からないし、どうして生まれるのかもよく分からない。ただ、不安な事柄について考えつくして、気が済めばそれはなくなる。そこが、面白い。その考える前と考えた後で事態は何も変わらないのにってところが。
 その真っ暗な完全な闇のような存在。私たちの求める、目指す明るみとは真逆に位置する不安は、よっぽど大切な概念なんじゃないかって思い始めた。

【不安がある理由1】
 その不安の発生要因は、危機回避なのだと思う。具体的には"死"が理由だろう。
 嫌なこと、悲しいことがあって死にたい気持ちに少しでもならないための機能。
 それこそ、実際に死なないための危機回避の防衛本能。
 でも、そんな単純なことのための機能なんだろうか。
 私たちの昨今の現状は、そんなにいちいち死ぬような気もないのだけど。

 もう一つ思いついた。
 「死なないため」というよりは、「自分を生きられないかもしれない」っていう不安かもしれない。このままでは、本来の自分を押し殺さなければならないっていう不安だ。欲しい自分が手に入らないっていう。
 けど、やっぱりそれも想像にすぎない部分がある。そもそもの欲しい自分ってなんだよって、それで何がどうなるんだよっていうね。必要ならそれは手に入るでしょってね。

【不安がある理由2】
 私たちの世界は何もかも相対で成り立っているところがある。
 「ここ」と「あそこ」があって時間や空間を移動し個として存在できるように、嫌いがあるから好きを見出せるように、私たちは相対があるから確立できている部分がある。

 不安はたまらなく恐くて、少しもほしくなくて、全く必要ないって思うことが多いのだけれど、不安のおかげで成り立っている何かがあるのだ。

 なんだろう。

 上でも言ったように、不安っていう最大の敵は、やっぱり私たちの人生にとって、アンパンマンで言うところのバイキンマンばりに、必要なわけだ。目指す明るみとは真逆の存在。

 そっか。どうしてもなくてはならない理由は簡単だった。
 
 そして、人生におけるバイキンマンの立ち位置。めちゃくちゃ大切な配役なわけだ。

 先に結論を言ってしまうけれど、実は、不安とは、私たちの「個の性質を全うするための仕組みにすぎない」のではないだろうか。

 つまり、不安でない状態を作り出すための、原動力にすぎないということだ。
 私たちが、人を求めるための仕組みにすぎないのだ。

 ここでもまた、別のときに書いたものをのせる。
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 「幸せな○○を考える006」2006/11/29
 
 なんとかタイムリーなお話が出来たら嬉しいのですが。
 とりあえず意図なく語ります。

 何度か「気づき」について語らせて頂いてますが、「気づく」ことってなかなか難しいですね。
 気づいたとしてもその後、その想いや発想を信じていいのか。

 次に来るのは、これですよね。

 そのために、気づいた後、「考える」ということが必要になってきます。
 「考える」ということは、恐らく生まれる前からずっと行ってきたことだと思います。
 もし考えることに意味がなかったら、人類はこんなに「考える」ということを日々、多様しないことでしょう。
 しかし、生憎にも「考える」ということが出来るせいで、我々は「不安」を生み出します。

 皆さんは、どれほどの不安を感じますか?
 私はすべてのものが不安を抱えていると思います。
 そして、その不安に大小の区別は不要だと考えています。
 
 人が不安を解消するためには、「安心」を生み出さなくてはなりません。
 その安心は「他人の力によって」生み出せる可能性が高いでしょう。
 
 その理由は、もし自分の力で安心を生み出せるとしたら、不安を生み出す以前に行動が決まっているはずだからです。
 そして、当たり前のことで人の数だけ答えは生まれるからです。
 でも、真実の安心は自分で自分を救えた時に生まれるとも思います。
 それは、他人に助けられることは純粋な感謝の後に自分自身の力のなさに、また失望してしまうことがあるからです。
 たとえそうだったとしても、今回はそういう学びだったと思い直してくれれば幸いですが。
 不安との対峙が、二度目、三度目になると今度こそは、と、自分一人で解決しようと思ってしまうものです。

 しかし、これは悪循環ではないでしょうか?
 不安なんて、皆が持っているのだから、皆で協力して解決したらいいですよね。
 自分だけと思った時点で、すべての幸せは視界からはずれてしまいます。
 
 不安に対して一人で戦うと、幸せに盲目になってしまうのです。
 「不安は不安と思った時には決して消えません。」
 不安は考えることで消えるものではないからです。

 不安は考え行動し、次のステップへ行けた時になくなるものです。
(また別の不安になることもステップの一つです。)

 さらに付け加えると、もしこの世に不安というものがない、もしくは絶対に不安とは一人で解消できるものだとしたら。
 他人とは必要のないものになってしまうようにも思います。
 他人との繋がりをなくさないために、不安というものはあるのかもしれません。

 しかし、すべての不安は他人が存在することによって起こるというのも事実です。
 つまり、不安は我々が生きている限りは100%在るものなんですね。
 それをなくそうとするのは、不可能に近いでしょう。上手に不安と付き合うことです!
 また、不安については語りたいと思います。
 
 ヒントになれば良いのですが、先ほど言ったように不安は行動によって消えていきます。
 例えば、来週無事に目的地に行けるかという不安。
 これは、一度前もって行っていれば不安は軽減されるでしょう。
 まさに行動によって不安を消すパターンの一つです。一週間不安を抱くよりよっぽど良いですよね。

 そして、もう一つのアドバイスは、不安とは目に見えないものです。
 思考なのだから当然なのですが。
 ならば!目に見える形にするのはどうでしょうか。
 ノートに書くなりすることで、頭の中でぐるぐる回ることなく道が見えるかもしれません。
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これほど、優しい仕組みがあるだろうか。私はここに地球の完璧さを見る。

私たちが人を求めるための仕組み、個性を全うするための本能は、正しく、万全に、なんの狂いもなく、備えられているのだ。

【不安に対する必要な考え】

 私たちに必要なことは、考えるべきことは、睨まなければならない問題は、「不安の捉え方、不安との付き合い方」なのだ。

 この不安という仕組みは、なかなか面白いものである。
 上の「幸せな○○を考える」に、不安とは人から生まれるとあった。
 そうなのだ、なぜ不安が生まれるかというと、それは、人から離れるからなのだ。
 その、ある対象とした人から距離を感じる、距離が遠くなりそうになる、つながりが絶たれるかもしれないというところに人は不安を感じるのだ。
 それは、私たちが求める「誰かと生きたい」という「人間としての人間の本来的な生から離れるから」に他ならない。

 ここからは、2014/10/04のメモをのせる。
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 「誰かを否定するのには、もう疲れたんだ。」

 真実や本質から離れると人は不安になる。
 その、まやかしに心地よさを求めていると、それがないときには不安になる。

 しかし、そのまやかしはそもそも本質から離れていました。
 ほしかったのはそのまやかしの体験ではなく。そのまやかしで得られる何かだったのです。

 それは、人との、交流かもしれませんし、考えなくて済む時間かもしれません。
 はたまた、簡単に注目を得ることかもしれませんし、やっぱり淋しさを埋めているのかもしれません。
 
 私たちは、こんな"穴を塞ぎたい"という不安があったのです。

 けれど、知らなければならないのは、この穴を持つことが人間らしいってことです。
 この不安は大切なものです。人とつながるための源です。

 ですから、無理矢理に埋めたりしなくてよくて、私たちはその枯渇に喘ぎながら日々を送り、人を求めてよいのです。

 不安は消せないものです。未知です。

 人は、今消せる不安しか消せません。それ以外はどう考えを巡らせたところで、消せません。

 私たちは、言葉と戦っているんです。必要なのは、結局、所詮○○的な言葉か、即効性のある対処療法的な温もり伝達なのです。

 それがないと、まやかしに走るってことです。もちろんそれも当然人生です。

 ただ、私たちは選択している生き物です。それで、いいのか?ってことが問われるわけです。
 本当にほしいものは。なんなのか。
 その広い枠組みへ向かえたらいいのにと思うところです。
 
 もう誰かを否定するのには疲れたのです。私たちは。
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 ここに出てくる「まやかし」とは、そのときの自分の心情と向き合わなくて済ませてしまうような、気持ちと向き合うことを誤魔化して時間をやりすごさせてしまうさまざまな手段のことです。お酒、薬物、娯楽など。もちろん中には必要なものもあります。けれど、依存的にそこにすがることで、本質から離れるものはあります。
 
 私たちが求めているものは、不安を誤魔化すことではないのです。
 
 その不安が原動力になって、手に入れたい本質があるのです。
 その本質の一つは「人間らしい生に向かうための、誰かとのかかわり」です。
 
 他にも人が生きていていい理由はいくらでもあります。けれど、この本質の一つを見離さぬように生きられたらと思うのです。
 不安も大切なものの一つだと捉えて生きられたらと思うのです。

 そうすれば、そんなに、すべてを、人生を悲観することはありません。

 その不安は、誰かにつながりたい、何かにつながりたい、ただのサインなのです。

【不安の向こう側】
 人は不安になりすぎると、何かも失ったような気分になります。
 もう自分には何もない。そんな気持ちになることもあるでしょう。
 
 けれど、ここが面白いところで、不安というのは原動力なんです。
 だから、最終的に不安は心にちゃんと残ります。

 だって、もし何もかも失ったなら、その不安も失っているはずだからです。
 不安があるってことは、誰かを求めて、まだ生きていていいよってことなわけだ。

 不安はよく生きたい裏返し。その不安の分だけ、良質な生きたいというエネルギー、パワーも潜在しているということだ。

 もう少しだけ、不安について話す。
 これは「不安の捉え方とか、付き合い方」の話なのだけど、ちょっとしたコツみたいなものだから知っておいてほしい。

 私たちが、一つ目に思いつく不安というのは、実はフェイクで、本当の不安にはならない可能性が高い。一つ目の不安というのは、確実に回避される不安なのだ。
 なぜなら、それは一番気にしているからその分それに時間を使うからである。

 本当の不安、最悪は、予期しないところからくるのだ。
 そのとき、それを一人で解決しようとすると、それは不安として力を存分に発揮し、最大の敵となる。
 けれど、その敵の動機は、誰かとつながることなのだ。

 そう捉えれば、敵を倒すことができる。敵の弱点は、誰かとつながることだからだ。
 ただ、そのとき、誰かにすぐつながればいいのか、少し応戦してから、誰かにつながればいいのか、どの時期につながるとベストなのかは、結局自分の感覚、考えに委ねられる。
 ただ、とにかく、最終的に行き着く解決は、誰かとのつながりだということを忘れないでほしい。
 
 不安があるそもそもの動機が、人は一人では生きられないから誰かとつながって生きながらえるための、人が一人で生きないようにするための、本能的な機能だからだ。

 だから、人は何かにつねに不安を抱く生き物なのだ。実際の不安になろうがなるまいが、目線をさまざまに変えて、不安を生み出す。
 不安の根源、発信源は人間だ。不安の矛先は視点によって違ってくるということも知っておくといい。視点を変えれば不安も変わってくるのだ。
 ある意味、その集団の不安の内容によってコミュニティがあり人々はつながっているだけなのかもしれない。その集団の視点が変われば、集団のもつ問題意識も変わる。つながりによって不安を取り除けば、別の不安へ移行できるってことだ。

【不安ってなんだっけ】
 僕らはただ安心と安全、生が脅かされないこと、それだけを求めて、不安を創造し続ける。
 ただ、その不安は、想像に過ぎず、見通しきれない未来への不幸予測にすぎない。

 99%は妄想なのだ。
 実際、人生とは、残りの1%の結局予期できなかった嫌な出来事に振り回されているようなものなのかもしれない。

 でも、日々、対処療法で、不安の誤魔化しを繰り返して、時間をやり過ごしていくことが私たちの筋ではない。
 人生ってのは、そんなもんじゃない。

 不安には、そもそもの目的があったのだ。

 不安は必要だ。なぜなら、不安の後に不安じゃない状態はくる。

 その不安じゃない状態っていうのは、自分が誰かとつながった状態だ。

 
 不安ってなんだっけ。

 それは、他人を必要とするための、人が一人で生きないための、人が人を求め、人に出会うための、人とつながるための、そのために用意された温かい機能だったんだ。