かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

教育ってなんだっけ(旧:生きるって楽しいじゃん)

 

教育ってなんだっけ

 

教育とはなんなのか。

これを考えると莫大巨大迷路に迷い込みます。

どんどんどんどん問題が広がってしまうのです。

なぜ、教育をするのか。
それは人間が放っておいても人間にならないから。
じゃあそのなりたい人間って、人間ってなんなのって具合にすごいことになるんです。

けれど昔の人はたくさんたくさんすでに考えてくださっていて大方結論は出ています。

問題は私たちはどうするのか。
ありもしない正解を選んでどれを正解とするのか。

そこなのです。

少し堅いコーナーになりますが、まぁ見てってください。

まず、「教育はなんのためにあるのか。」

・みんなのためか
誰もが心地よくなれるような素晴らしい人格にすること。
これが社会のため、みんなのためになる。
これこそが教育の目的じゃー!というやつ。

・個人のためか
教育する人の目的を教育される人に押し付けるのは変じゃー!!
教育される人が成長して行く中でそこが欲するもの、
その子に合ったものを観察し、予想し、手はずを整える責任だっ。というやつ。

要は、両方なわけなんだけど。
みんなではこうした方がいいねっていうのと、個人ではこういうことをやりたいなっていうことをやったほうが良いってこと。
そして大人になったらその両方を橋渡しして役立てられるようにするのだ。

学校のときと、学校外の活動のときってことになると思う。
両方がんじがらめは、よくないのね。

次、「その教育はどう行われるべきか。」

・自然に任せるか
これは、自分たちが何もしないで勝手に子どもが感じて覚えてゆく方法ってこと。
朝はおはようございますとか、玄関の鍵は閉めるとか、雨の日は傘を差すとか、
子どもがそばで生きているだけで身につけていくバージョン。
学校でも、挨拶の仕方とか周りに合わせると思う。
これも自然の教育の結果。

・計算してされるか
こっちは、出来るように新たに仕込むということ。
学校の教育は主にこっち。新しいことを教える。
挨拶の言葉だけでなく、姿勢も教えるし。
みんなと過ごすための礼儀も教えられる。
自然とそうなるのではなく教えられる。

これも要は両方必要で、これがごっちゃになってしまっているせいで子どもは混乱し、
学級崩壊などが起こるんじゃないかって思う。
言っていることとやっていることが違うなんていうやつだ。
教わったのはこうだけど、目の当たりにするのは違う姿だったりするのだ。
外では学校で教わったのと違う大人がうんといるからだ。
さらに、家での態度が学校のものとは全然違えば学校で教わったことをキープするのは難しくなる。
結局、大人がとにかくきちんとしていないとってことだろう……。

ここまで来て、話した4つが必要で全部が合わさって教育。

外側から教わること。
内側から育つこと。

みんなのための知識を増やし、自分のための学習をし、自然の中で経験し、計算して意図的に必要な勉強をするのだ。

これが教育。

で、一つ知ってほしいのは、正しい教育というものはなくて、今目の前で受けている教育もちゃんとした教育の一つだってこと。

もし自分が間違っていると思うのなら。その世界は自分で変えるしかない。
反抗するんじゃなくて考えて、自分の得になる方法を考えなければならない。

大人(他人)のせいだけど、大人(他人)のせいにしても何も得るものはない。

良いと思える教育を与えられなかったら、自分で教育を得るしかないんだ。

自分の個性を伸ばして、社会に橋渡しをしその中で活用するってことを考えたり、誰かから学んだりするしかない。

今、自分に必要なことはなんなのかをたくさんたくさん考えて。

教育ってなんだっけ。

今は薄れてしまったのかもしれないけど。
それは、大人から得られるはずだった輝かしい知識のこと。