かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

ちょっと苦しい

カフェイン?「ハピペン」です。

 

しばらくコーヒーを抜いているのだけど、昨日久しぶりにココアを飲んだのがよくなかったかな。

 

と思ったけど、夕方2H近く寝てしまったことが、悪循環を生んでいるだけか。

 

寝不足、空腹、寒さ、自分の時間と思える時間がない。

これらは、大変。もうダメ。

とても不条理を感じる。

 

とりあえず、おおっぴらな宣言用に、昼寝をすると苦しいので、昼寝は15分前後!!とアンカーを打っておく。

 

と、こんなどうでもいい嘆きを見せても仕方ないので、土日に考えたことを書いておく。

 

「ナラティブセラピー」のセミナーの誘いがあった。

 

ブリーフセラピーの中にもナラティブセラピーの哲学は入っている。知ってみてもいいと思った。

 

調べてみると面白い。

 

ナラティブ・アプローチ

まず用語。

ナラティブ(物語)

ドミナント・ストーリー(優勢的な物語)
オルタナティブ・ストーリー(代替的な物語)

ナラティブでは、クライアントが抱えている問題は、クライアントが「ドミナント・ストーリー」に適応できないことではなく、クライアントの持っている固有の「オルタナティブ・ストーリー」と「ドミナント・ストーリー」との間に生じているズレと理解されている。


また、「オルタナティブ・ストーリー」における自己とは、「個の内部から自然に湧き出て来るものというよりは、さまざまな他者による『あなたは……』の言説を取り入れつつ、言語実践の具体的場面のなかで変形され不断に構成し直される。

 

そして、クライアントの話を聞き取る人がいることで、新しい物語を確かなものにする。


自分にとって「オルタナティブ・ストーリー」に気づくきっかけとなったのは、「kana-boonの『シルエット』という歌」だった。

自分たちはあるストーリー(在り方)を生きていて、それを少しでも自分が生きやすいストーリー(在り方)に変えていくこと。できれば、それは周囲も自分もよりよくなるようなものであることを目指す。

ここが、複雑な心境になるところなのだけれどまず、変化が求められるのは、抑圧している社会の方ではなく、「主体」であるクライアントである。

受け入れるにせよ、立ち上がってアクションするにせよ、クライアントの心の金縛りのような状態の身動きできないパニックゾーンから何かしらをずらすイメージ。


そして、それは、こちらの文脈に依存する?というよりも、人々は誰かしらの文脈に依存しているというわけだ。そのストーリーをチョイスしているってことだろう。

「在り方」につながる話。

 

参考:西村愛「知的障害児・者の「主体」援助の陥穽を問う:ナラティブ・アプローチの批判的考察をもとに」(現代文明学研究)