かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

Empathy or Resolution

今日も起きられました!「ハピペン」です!

昨日は残念6時起き。今日はやったぞ!!

 

先日、市の研究部会がありました。

特別支援学校の先生が講師としてお話ししてくれました。

 

私はとっても好きな先生で、言っていることが分かるなあというよりも、もはや、私が言いたいことを言ってくださっている先生。

 

その話の中で、印象に残ったワードが「共感」か「解決」の話だった。

 

一般に、相談するときに人は「共感」か「解決」を求めると言われる。

あなたの大嫌いな人が100%考えていること

この本にもそう書いてあった(余談だけど、この本にある大嫌いな人が100%考えていることも確かに!というものだった)。

 

特に

  • 女脳→共感
  • 男脳→解決

などと言われることがある。

 

あまりそういう括り方はよくないだろうけど(女子力とかも)。

 

「共感」について

これの重要性を年末から何度か聞かされているけれど、そういう見方もあると、改めて考えさせられたのが以下の見方。

共感は「ゆるやかな支援」

 

たとえば「ケース会議」の「様子を見ましょうシナリオ。

 

私は嫌いだと思っていたのだけれど、どうしてもそのステップが相応しいときもあるのだ。

 

私は、何ヶ月(何年?)も「様子を見ましょう」で過ぎていくのが、「うおーーーい!!」となって「様子を見ましょう」が嫌いになっていったと思っているのだけれど、「様子を見ましょう」という「理解」や「共感」も「支援」だったのだ。

 

「解決」について

「解決」は、「共感」のゆるやかな支援と反対に以下の見方といえる。

解決は「積極的な支援」

 

私は、「共感」を大切にしたいと思っていたけれど、考え方や求めるゴールが「解決」なことを今日改めて認識した。もしくははっきりと認識したのは初めてだと思う。

 

「解決は積極的な支援」

ただ、それが欲しい段階に来ていない人にとっては重い、もはや痛いかもしれない。

傷つけているかもしれない。

 

人によっては、「ゆるやかな支援」のレベルで救われる人もいるかもしれないのだ。

もちろんケースバイケースで、積極的支援は必要だとして。

 

超余談だけど、2011年は「ゆるやかな支援志向」を推していた。2012年になって、気づいた人が何かすべきだと「積極的支援志向」になった。

ここに来て、やはり、ファシ力に目が向いているのか、考え方のバランス感覚が気になっている。

 

講師の先生も、どっちでファシるかという話をされていた。

 

セクシーさ

変えたい!変えたい!だけでは、変わらないストーリーがある。

変えたい!変えたい!と思うほど変わらないストーリーがある。

 

私としては、「セクシーさ」としか表現できないのだけれど、何かを変えるには「セクシーさ」が必要だと思う。

 

「変える」というのは、これまで生きてきたその人の「コンテクスト」を変え、考え方と行動を変えるということだ。

 

その文脈は「印象」と「繰り返し」で変わると言われている。

 

すくなくとも「共感」を抜きにして「解決」に走る「印象」は悪いだろう。

そして「共感しないのに、共感してもらえる」とは考えにくい。

その中で「繰り返す」ということも困難だろうと思う。

そう考えると「こちらが共感するし、共感してもらうこと」の重要さが分かる。

 

当たり前に長期的な目線で眺める必要がある。

別に自分の目が黒いうちに起こらないかもしれないことだっていいのだ。

 

たとえば、今勤めている学校で「支援級理解を全校にしたこと」は「繰り返し」の仕組みで、「子どもたちが笑顔ですごして変化」していたら「印象」にもつながるかもしれない。

 

特支は特支っていう「印象」の強さをなかなか越えられないと思って挫けそうになるけれど……。

 

だからこそ「繰り返し」のための残るような「システム」への働きかけが重要だ。

 

資料を配ったり、本コーナーを作ったり「草の根」による「印象」への働きかけも教えてもらった。

 

ゆるやかな変化に立ち会っていることを自覚して。

また、これから、自分には何が出来るかを考えていこう。