かならず幸せになれるいきもの

幸せな子ども時代を過ごす子どもを増殖させるための哲学と甘い毒。(旧:それでも幸せな人はいるから)

54日目:「いかがいたしますか?」「えーっとね、ナチュラル満タンで!」

今日は、プールでしたーハピペンです。

 

のんびりねー、のんびり行こうよ!!

 

今日は、子どもたちの歌声がきれいだったなあ。これは、嬉しい。

録音してCDに焼きたくなったわ。

 

プールだったからなー。あんまり、ないなー。

プール不安がっていた子も、めっちゃ笑顔じゃん!とか思って。

 

自分のクラスの話を聞く態度を見て「落ち着いてるね」と言ってもらえた(別に、よ、喜んでなんかないんだからね!)なあ、とか。

 

ろう下の学校全員のためのプロジェクトを、やりたいって子もいたなあ。

 

それと、どの子を指名するとどんな答えが返って来るかがやっと分かってきた。

これは、重要だよね。

 

面白い。授業を創造するというか、回すというか、見えるときがある。

 

その子を知るってことが少しずつできるなあ。

そして、その子たちを生かして、学んでいく。

 

そんなこんなで、ナチュラルに過ごせたなあ、という一日。

 

それで、いいんだろうなあ。

 

そういう日常を重ねたいなあ。

 

子どもたちを好きでいたい。

 

【パセージ】で常に問われること

「何を学ばせたかったんですか?」

「その場面で何を学ばせたかったんでしょう?」

「その子に学んでほしいことはなんですか?」

 

大事な問いです。たくさん問われます。

 

大人のかかわりによって何を学ばせたいのか。

 

そして、その「かかわり」は、

 

常に

  • 自立にする
  • 社会と調和して生活する

この二つに向かっているかが問われる。

 

そして、そのときに

  • 自分には能力がある
  • 人々は私の仲間である

この二つを感じられるかが問われる。

 

自分こそ、

自分には能力があると思いたい。

人々は私の仲間だと思いたい。

 

たとえば、怒ることが嫌なのは、人を傷つけてしまう罪悪感が苦しいからだ。

そして、そこで、自己弁護をすると、なお苦しい。誰かを傷つけない自分でありたい。

 

私はこれをしないことで、能力があるとか、仲間であるとか感じられるように思う。

 

感情を俯瞰して冷ましたり、コントロールしたりすることができれば(もちろん適度に)、私は、もう少し生きやすいだろうと思う。

 

感情のコントロールについて、背中で学ばせられる大人になりたいなあ。

そして、それは言葉にあらわれるだろうから、そこにも気をつけたい。

 

敬語は形ではなく、心なのだ(うーん)。

 

 

朝は、黙祷をした。

9歳で死んでしまうって、どう思う?と聞いた。

  • 大人になって暮らせないのはもったいない。
  • やりたいことができないのはかわいそう。

そういうことを言っていた。

その子のことを少しでも胸に、幸せに生きていってほしい。

 

全員、目を閉じて祈っていた。

冥福を祈る他ない。

 

「ナチュラル満タンでいこう。」