かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

「被曝リスクなど存在しないのに、なぜ保養を行わなければならないのか」

朝から海の匂いのする駅に着地成功のハピペンです。保養の手伝いに行きました。

 

ハピペンは「被曝リスクなど存在しない」とは思いません。

 

 

そして、再びいろいろ疑問も湧くし、モヤモヤが降り積もる。

「被曝リスクなど存在しないのに、なぜ保養を行わなければならないのか」【75カ月目の福島はいま】「保養に公的支援を」。全国108団体が国と福島県に要望書提出。原発事故6年でもなお高まる需要。受け入れ団体の疲弊は深刻化 - 民の声新聞

これそうなの?

 

 

 

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地震から7年経って、自分の日常からはどうしても薄れがちなのだけれど、まだまだ頭を抱えている人はいる。

 

この長期戦が大変なのだ言われる。

 

先日、このDVDを見た。

映画『 小さき声のカノン―選択する人々 / Little Voices from Fukushima 』公式サイト

 

DVDについては、以下の記事も内容の参考になる。

小さき声のカノン あらすじ 3.11のその後の希望を見たドキュメンタリー

 

もう少しきちんと調べないと分からないなあ。

 

こういうのとか、

自然放射線 - 日常生活と放射線 | 電気事業連合会

 

ただ怖いのは「内部被曝」なんだよね。

体内に放射性物質が入ることなんだよね。

 

でも、あまり分からないなあ。

整理しきれない。

 

もうちょっと調べてみます。

 

水道水は本当に平気なの?とか。

魚や野菜は食べて平気なの?とか。

 

それでも、どうあがいたって、こんなことを考えなきゃいけないということになった理不尽はあって、根拠のある基準がない中で、7年間「食べるということ」「住むということ」に不安を抱片付けている人がいるのは事実だ。

 

子どもの健康を維持したいという、当たり前の日常を生み出すのに、毎日毎日大変な努力を必要としている。

 

このキュウリを買っていいかどうかを本気で悩むのだ。

 

そのどれもこれも、情報が信用ならないからである。

 

嘘ぶいている、デタラメ、約束を守らない。

これほどの不安が継続していて、たまらないということを、そこにいない自分は全くないものとして生きている。

 

なかったこととして生きている。

このままでは、何かがよくない。

自分が自分にとってよくない。

 

情報求ム。