かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

79日目:「対話」にフォーカス

半日断食のハピペンです。

健康診断でした。。。

 

先日、研修で対話について学びました。

 

自然な対話が起こるときには3つの対象がある

  1. 他者
  2. モノコト
  3. 自分

対話の中では

  1. 当たり前の危機
  2. 知る
  3. 自己の更新・有能感
  4. 未完・仮の解決状態の自覚

対話の際に起こっていること。

 

それぞれの対話について

1.他者

私的対話から公的対話に移っていくことが望ましいが、簡単ではない。

集団の中で他者と対話をする際にスクランブルがかかっていて、それをデコードしないと、対話が生まれない。

それ以前の「この場でこの人たちに自分のことなんて話していいの?本当に話す?」や「先生の言う通りに真面目に答える?本当に?」などの、別の倫理行動によって、対話が成立しないことを話していた。

 

この「デコード」ができたら強い。

チーミングの本を読んでみているけれど、それでつながってくるといいのだけれど。。。。

 

2.「モノコト」

「作業・活動・操作におよぶとき、必ず自己内対話が発生している!!」

故に、「活動あって学びなし」は「ない!」って、話が印象的だった。

「活動」、つまり「コト」があれば、そこに何かしらの学びは必ずある。とのこと。

ただ、それが言語化できない、こちらが解釈できないだけという話が興味深かった。

「モノ」との対話もそう。「モノ」があれば、「対話」 は始まっているとのこと。

 

「モノ」「コト」の有意性についても話していました。

子どもを受け身にしてしまうことが少なくない。

しかし、「コト」は子どもを受け身にするが、圧倒的な力があって、反作用(その分子どもから反応が得られること)があるとのこと。

 

子どもは言語化できないから、頭の中で何が起こっているか、大人が解釈するしかない。モノとの激しい対話を想像して解釈するしかない。というのが、そうだよなあ、言語化を求め過ぎたら酷だよなあ、と響きました。

3.自分

自分との対話。つまり「自己内対話」について。

自分を表明するために、自分を他者に晒していくために、自己評価を行う。

「自分をどう更新していくか」

  1. 想定:未来の自分を描く
  2. 調整:今の自分を修正
  3. (発信:これが困難とのこと)
  4. 省察:過去の自分と向き合う

 

ここを育もう!自覚的選択!!

なんて思っていたが「自己内対話」を見取るのは大変!って話。。。

 

そりゃ、そーだ。

 

無謀だと言っていて、無理しないようにしようと思った。

 

内面の変化を見取るって大変なことだ。

じゃあ、年度末、道徳の評価どーすんだ?って話だけれど。

 

うん、どーすんだろうね。。。( ̄◇ ̄;)

 

自己内対話を研究テーマにしている学校では「その子の変容を年度末に保護者に語る」ということをしているらしい。

この話を聞いて、この仕事に求められていることは「 子どもの発達を保障すること」なのだなあと思わされた。教師はその専門家なのである。

 

「対話」と「情動(気持ち)」

ちょっとここはあっさりめで、どんなに条件がそろっていても、気持ちによって阻まれるものがあるという話。

 

発信する文脈 

「話したい」「表出したい」「自己開示したい」と思える「テーマ」「トピック」「問い」か。

「タイミング」は?

「関係性」は?それは「話せる相手か?」

こうしたことが問われる。

 

そして、調べた後の「あなたならどう考えるか?」などの、あるテーマについて知りました「それで?」という「次」を考えることが重要だと言っていた。

テーマの先の自分の血と肉とすることに学びの価値がある。次を少しでも考えてトピックを与えることが大切。とても当たり前だけれど、あまりできていないように思う。

 

このときだったか、ある中学校での理科の時間の衝撃的な言葉かけを聞いた。

それは、理科の時間にAさんが予想を話すのだけれど、それが周りに上手く伝わらなかった。すると、近くにいたBさんが空気を読んで「はい!オレ言い換えられます!」と立ち上がったのだそう。

このとき、教師はどう出るだろうか。つい進行の都合で、意見を聞いてしまいそうである。

しかし、その先生は「Aさんに許可は取りましたか?」と聞いたそうである。

「その子の意見のオリジナリティを大切にする」ということ。こういう教室では、意見も言いやすいだろうと思う。

その子が大事に考えたものを大切にするということ。それらしい答えだけが重視されるのでは、安心して対話はできないのだと考えさせられた。

 

受信する文脈

聴く文脈とも言い換えられる。

このことについて、興味深かったのは、「他の人のトラックに乗れるか」ということである。

その必然性や指向性も大切。

そして、そもそもの「他の人のトラックに乗ることで違う景色を見られたという体験」がないと、聴こうという期待がもてない。この経験なしに、聴け!は無茶だということ。 

 

 最後に、

学校ならではの学びとしての「双方向性」。他者とのやり取りがあって学びになるとき、学校ってそうだよな!学校で学ぶってそういうことだよな!と思わせられるということ。

そして、教師は「監視者の表情」から「対話者の表情」へ移っていけると良いという話が合った。

 

対話については、まだまだ勉強不足で、知っていかなきゃいけないことだらけだ。。。

 

午後は健康診断。

 

そしてkengoさんに会った。

自分のクソみたいな指導からの気づき - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

ノンストップで気持ちよく語り合える貴重な時間でした。

 

相変わらずの「メタ力」と「人の良さに気づく力」が心地よい。

 

なれないものから、なれるものになることを目指すということを提案してみたいところ。

 

強みを生かして「ぐーん!」と進んでいってほしい。

 

「ハピペンにもっとバズってほしい」というささやきが、とても嬉しかったです。

 

応援してくれる人がいる幸せを感じた日。