かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

104日目:そういう、奇跡みたいな一日ってある

晴れたり、雨降ったり、せわしいぞ!!ハピペンです。

 

今日の朝はどんよりでした。

先週の週明けもやばかった。

 

帰りにそこそこすがすがしいのは有り難いことだ。

 

「とにかく、信じてやり続けることが大事だ」

 

そうすると、奇跡みたいな1日は起こる。

 

子どもたちは同じ日が一度とない。

 

「私の週明けのどんよりは、そう長くは続かない」これは肝に命じておこう。そうすれば、いちいち毎週明けにどんよりした朝を迎える必要はないのだ。気のせい気のせいってことで済ませられる。

 

自分の感情よりも、内に秘めた気質の方を信じる。

 

レクをやったぞ!レクを!

もっと4月にやれば良かったと後悔。

けれど、関係がそこそこ良くなってやっているから、良いレクで終わっているのかもしれない。

 

だから、今でいっか!

 

ルールを全員ではなく「考えてくれる子たち」で休み時間に集まって考えておいた。

 

いいなあと思ったのは

「ドッジボールは半分の8人が当たったら終わり」というものだった。

待つのが長くなるとつまらなくなるからとのこと。本当は最後の一人になってキャーキャーするのもいいけれど、それは、また別の価値観なのかな。

 

  • ずるしない(ボールの横取りなど)
  • ずるをしたら退場
  • 退場するためにわざとふざけない

これも、子どもたちから出てきた。

ルールのためのルールだらけなのだけれど、実態っことで仕方ないかな。

 

面白いのは「ドッジボールいけいけ」の人たちがルールを考えているのではなく、「ドッジボールそこそこ」の人たちがルールを考えているのだ。

だから、弱者に優しいというか、強者が暴走しないためのルールが盛り込まれているように思う。

 

ルールを一緒に時間をつくって用意することは、機転が利いて良い方法だった。できてよかった。

 

「「「偽学び合い」」」②

三重かっこの偽学び合いも発動した。

 

算数で「半の全員がクリア」を目指してもらった。

 

普段そういう姿を見せない子が、隣の席の子のノートを覗き込んで、肌を寄せて教える姿があって、それはそれで良かった。

 

そこをもう少し振り返って、意識づけさせてあげられたらよかったなあ。

 

また、どっかで様子を見て価値づけしたい。

「君の力で助けられる子がいる」って辺りを。

 

Hi-Five

一時期保健室に通っていた子どもがいた。

その頃、私の指導は、白い目で監視されているように感じた。

 

うちのクラスでその子だけが他クラスの先生から挨拶される。

 

私の知らないところで根回しがあると思った(被害妄想。。。怖いよ(笑))。

 

ただ、関係づくりが出来ていないとは、あまり思っていなくて、というよりは「その子の気分なんじゃね?」って感じだった。

 

  • 実は朝二人きりで話す時間があるってこと。
  • たまにお手紙をくれてやりとりすること。

(その手紙の内容が嬉しかった「いつも自分の良いところをたくさん見つけて励ましてくれてありがとう」とあった。逆に露骨なのだけれど、そう思ってくれているのだと思った)

 

そして、今日その子が運動会の練習中に私のそばに来たので、いさせておいた。

(いちいち、ちゃんとやれとか言わない。どちらかと言うと「いたいところにいたらいい」って思う。そん時はそうなんだから)

 

それで、通しで練習できたらハイタッチをした。

 

何回かしているうちに「イイネ!👍」バージョンを思いついて、一緒にやった。

 

5タッチあるので、成功するには相手をよくみて息を合わせなければならず、うまくいくと気持ちが通じ合ったような気がする。

 

その子も嬉しそうだった。

 

いろいろなハイタッチっていうのを、どこかで考えさせる時間をつくってみようかな。

 

そして、上の方で言った奇跡みたいな一日って話なのだけれど、その子が全然違う班の異性の子と放課後に遊んでたんだよね。

 

積み上げていく中で、そういうシーンっあるんだよなって思った。

とにかく、意外な組み合わせだったのだ。

 

その子がまた一歩、自分の殻を解いて、「生きるって楽しい」に近づいたのではないか、と感じた。

 

クラスがもっと縦横無尽につながってほしい。

私だけが、クラスのどの子と話しても面白いってのは違和感だ。

 

どうしても、まだ、個人の趣味嗜好が先行してしまうようなのだけれど。

 

それにしても、どちらも、そうして一歩踏み出す関わりをしているところに、リスペクトを感じる。

 

知ろうとする生き方って、なんか、大人にも自然と響いてくる。

 

 

ああ、そうか

 

嫌な人がいるとしたら

 

やっぱり、それは

 

知らない人だからか。

 

知ることを許されたなら、もう少し生きるのが楽なのだけれど、大人には、つながりを断つ見えない「何か」があるんだなあ。