かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

116日目:スイッチを手に入れろ

ついイラついてしまうハピペンです。

昨晩からまたブリーフセラピーの本を読んでいる。とても楽しい。役に立つ以前に楽しいのだよね。私はこれが楽しいんだなあ。

 

上のやつです。今は下の新版が出ています。

よくわかる!短期療法ガイドブック

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新版 よくわかる!短期療法ガイドブック

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これを見ていて思うのだけれど、人は言葉を受け取っていないんだよね。言葉よりはイメージした感情を受け取っているなあって思う。

ただし、その受け取った感情の齟齬はあると思うのだが。

 

そういった、言葉の認知の仕方で人は行動を拘束するというようなことが本には書かれていて、それが、自分のコミュニケーションを見直す材料になる。

 

コミュニケーションを俯瞰する

今年のテーマの一つに自分のコミュニケーションを俯瞰できるようになりたいというのがあるのだけれど、大抵、事後であって、その場での俯瞰はできていない。

 

よくない言い方したなあとか、話題に乗れていなかったなあとか。

 

イメージは「メタメッセージ」に敏感になるという感じで、今日は少しだけ「それって、◯◯のことですか?」と聞いてから受け応えができた。

 

しかし、散々いないところで空中戦で話をしていて、そのあとに「どうですか?」って聞かれても、何も言えず「は?」ってなった。

 

少しイラついているように感じさせてしまったと思う。反省。

 

どうせなし崩し的に決まっていって、何の余地もないのに、合意を求められるところがなんか腑に落ちなくて、だったら、こう決まったのだけど、お願いしていいか。などを問われた方が嫌味がない。

 

とりあえず、意見を聞いたことにして、話を進めたいだけなんじゃないかと感じてしまう。ただの疑心暗鬼、四面楚歌かもしれないが、苦しいのだ。

 

目線であったり、言葉選びだったり、微細なところに私への感情が潜む。不親切。それが、苦しい。もちろん、私が察知できないだけっていうのもあると思う。大有りだと思う。

 

ただ、この分だともう辛くて、あと少し辛くなったら、何か公に謝罪するようなミスが起きたら、医者に行って見てもらおうと思う。

 

どこか発達に偏りがあるとしか思えない。それくらい苦手なことがある、ウィークポイントがあるように思う。

 

空中戦に参加できないとか、話題に乗れないときがあるとか、空気が読めないとか。30代になって不用意な言葉が目立つようである。もともとそういうセンスなのねで済まない場が増えて、コミュニケーションのスイッチをうまく切り替えられなくて、異物扱い、discode扱いな気がする。

 

いつか、実習先にボランティアに行っていた時に、今は亡き教頭先生に「スイッチを手に入れた方がいいよ」と言われた。

 

とても見に染みたし、到底無理と思ったし、あえてというかそれが無い方が真人間らしいと思ってきてしまったところもある。表裏がない。偽りのない人でありたいと思っていたのだ。

 

「スイッチを手に入れた方がいいよ」と言われた時も、私は、東急ハンズの工作売り場のスイッチの棚を思い浮かべていて、あれを買ってくりゃいいのね。くらいなバカな想像をしていた。

 

せめて、今自分が、どのモードでいるべきなのか。コントロールできるようになるといいなあ。

 

スイッチで変わる人間って嫌なんだけど、そうでないと迷惑がかかるってことなんだよね。たぶん、スイッチなしでいいのは、天才だけに許される領域なんだろうなあ。

 

今日も子どもは育っていた。何やら消しピンで盛り上がっている。10月に入り、俄然落ち着いていて驚くくらいなのだ。子ども同士の相互理解が進んでいるのもあると思う。そして、なぜか、子どもたちが私の安全圏に入ったのを感じている。強く言っても大丈夫。子どもたちが私を分かってきたのかな。とにかく平気そうなんだよね。仲良くなったんだと思う。後半戦が本当に楽しみだ。