かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

142日目:ここで「チェンジアップ」

ちょうどいいコートがなくて困っているハピペンです。🏸こういうのじゃなくて、🧥こういうのね。とにかく、気温に対応するのが苦手じゃ。少なからず特性と思うわ。

 

直球の時間は終わった?

若干の無敵状態とおもっていて、これはいつまで続くのだろう。いつまでも続くのではないな、と思ったがそうでもなかった。ちゃんと落ちる。しかし、決め球で、フォークボールってわけでもない。落ちたように見えただけ。チェンジアップ。そんな気がする。それに、観察中なので、あまり気にしないことにする。この手のことが大打撃になったことがない。むしろ成長チャンスだ。ここからしかたどり着けない集団があるのだと思うのさ。

 

本日の功績は?

なんだかんだやることはやっているのよ。

  • レクを始動したこと
  • 問題を全体に投げかけたこと

 

明日はレクをする。

そして、問題を全体に投げかけた。。。

 

この問題の行方が謎。。。

  • 授業参観習慣の後
  • 行事の次の日
  • 6Hの算数

という条件が詰んでいたようで、教室で上履きを投げられてしまった。疲れていたのだろうね、私も疲れていたのだと思う。気にしないか迷いながらも気にして止めた(まあ、そりゃ普通止めるわな)。しかし、先に嫌なことをされたからということで、冤罪的印籠をかかげてきてうんともすんとも。というわけで、詰んだ私は巻き込むことにした。本人を正すことががなかなか簡単でない。かつ、悪くないと言っているものを正せないので、構造を少しでも変えてみようということである(アドラーの「共同の課題にする」手続きを踏めているか分からなかったのでそれはまた調べてみようと思う)。まあ、なんでもいいから、とにかくコミュニケーションの構造を変えてみようってことだ。とりあえず、みんな的にも上履きが飛ぶのは「なし」とのことだったので、じゃあ、それをなくすためにどうしよう?と投げた。本当は先生が全力で抑止してくださいというところだと思うが、できなくないけれど、完全にその子シフトになってしまうのと、悪意がない辺りから、友だちの力で対応できないかと思った。「係をつくる」という、灰谷健次郎の『わたしの出会った子どもたち』ごっこが出来そうな意見が出たが、「そうしたら係の子が困る」ということで却下。私もそういうことではないなあ、と思いながら。そうして「まあ、それでも止めればいい」という話にはなり「反対に止めたいって人はいるの?」とたずねると半数ぐらいが上がった。当人は止められる前提でいいのかということと、相性もあると思ったので「誰に止められたいか」を数名指名してもらうことにした。私の中では実は異性だと止まりやすいと考えていて、そうならないものかなあ、と思ったがこれもまた見事に選んだ子の半数以上は異性であった。ほんの少し行けるかもしれないと面白いと思った。そして、当人は嬉しそうである。そう、今書いていて思うのは、私の「正の注目」が足りないだけなのかもしれない。問題行動はパートタイムのはずである。もしかすると、全員の「共同の課題」ということになっている可能性が低くはないので、うまくいっている時の賞賛にいやらしさがなくなっているかもしれない。その子がいい姿でいることを全員で称えられる手続きができているように思う。この調子で、明日から全員で言祝ぐことができれば、この子は変わると思う。いや、確実に変わるわ。

 

やはり、どの子も次のステージに進むためにことを起こす。そこからしか生まれない成長がある。それが「お互いのものなのか」と問われると苦しいのだけれど「人は変わる」ということを間近で見られるということが、広い意味での未来への信頼につながるだろうか。一人ひとりのしょうもない課題が、いつかの自分への希望になるといいな。変化を見取って言語化して拡散しなきゃだなあ。

 

道徳では

この間研修で「意見に名札が付いているか」という話を聞いた。

 

やはり、相互交流をもう少ししたいと思って実験しはじめた。どの子がどんな意見を言いそうか、クラスの子どもたちが分かってきているといいなあと思う。「あの子の意見を聞いてみたい」と思って次の使命ができるようになったらいいなあ、と想像した。

 

その願いを伝えて、今後も交流させていってみようと思う。

 

今日はこんなところです。