かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

147日目:昨日のモヤモヤは昨日のモヤモヤでしかない

よーし、久しぶりに19:00までいたぞー。ハピペンです。

 

一喜一憂。これが、自分の学校生活。4月にフル充電した根性も消費しきってしまって、不言実行の言葉はどこへやらって感じだ。ただ、やれることは全力で。最低限は惜しまないって思う。

 

VS.クライシス

突然、クライシスが訪れれば全力で立ち回る。そのために、日々余力を残しているのだ。そのはずだ。

 

今日も奇跡的にクライシスを乗り越えた(と思う)。

 

コツは

  • 最終的には子どもを信じること
  • 最終的には子どもに委ねること

そして、

  • 自分のやってきたことを信じること

これしかない。

 

もし、それで、どうにもこうにもいかないなら。今、その子はそのステージにいると思った方がいいかもしれない。

 

切り札的に「大丈夫、大丈夫」と言いくるめて「させる」ってことも出来なくないのだけれど、それは、長くはもたない。無理に頑張らせれば、完全敗退が待っている。

 

AさんがBさんを傷つけてしまったとする。

私は、Bさんの話を聞くも打開策はなかった。

王手の手筋が一つもなかった。ここからゲームは賭け事に変わった。

何人かに聞き取りをするも曖昧だった。想像以上に詰んでいた。けれど、信頼関係がよかったのとコンプリメントに成功していたのか、Bさんが自分から非を認めてくれた(本人は何の気なしにAさんに言ってしまったことで、思い出してくれただけかもしれない)。たとえば、仮に嫌な出来事があったとして。それが、自分の頭の中でどう結びついて、あの子にきつく言ったり、嫌なことを言ってしまったりするのか。それを丁寧に聞き取って、納得を得るのは簡単ではないなあと思った。

だからと言って、何をすればBさんが復活できるのか検討もつかなかった。ずるいのだけれど、そういう時、私は「子どもに聞く」ばっかりだ。分からなかったら当事者に聞く。

 

「Bさんを回復させるのに、Aさんが出来そうなことって何か思い浮かぶ?」

 

「……。」

 

 

「……。」

 

 

「……。おり紙を一緒にやるとか?」

 

「おお、なるほど!それは、全く思いつかなかった。そういう手もあるね。いいかも。他にはある?」

 

「……。」

 

 

「……。」

 

 

「……。お手紙書く?」

 

「はぁーーー!!なるほどー!!」

(ここで、お手紙が生きてくるとは!!驚いた!それは嬉しいに違いなかった!!)

 

その奇跡に救われる。

「なら、もう今書いた方がいい。それで、渡してみてほしい!」

 

そう言って、私はBさんの方へ行った。

 

すると、少ししてAさんが現れるのだった。

Aなりに向き合いにきたのか、タイミングを間違えたのか分からない。まだ手紙を書く前だった。手紙を書きに行こうとして出会ってしまったような感じました。

 

しかし、これは、もう天命だと思った。こういう時にブリーフセラピーの考えが光ら出す「使えるものは何でも使え」である。

偶然こそ運命!そんな勢いでAを私の横に置いた。

 

「せっかく、今、出会えたってことは、何か言った方がいいってことかもしれない。」

 

横でAは涙が滲んできていた。

実際にBを見て、自責の念が湧いたのが、演技じみているのか正直分からなかった。

 

けれど、私は、Aがどんなに信頼に値して素晴らしいか伝えた。そして、BにAをどう思うか聞いた。いい人だと思うとのことだった。私はBもどんなに素晴らしい人間かをAに伝えた。

 

Aは泣いていた。

 

そして、私は「何か伝えたいことがあれば」とAに促した。

 

Aは「えっ?」て顔をした。ラチがあかなかった(意味わからん)。

 

「私たちが話したことを伝えていいですか?」とAに伝えてBに様々なあらましを伝えた。

 

Bは納得したようだった。しかし、傷は浅くないようだった。

 

ここからも、賭けだった。

「もう私から話すことはないから、あとは二人で伝えた方がいいことがあれば話しな」と言って二人を近づけた。

 

ここから泥沼パターンもあると思う。恒例の「本当は私は悪いと思っていない合戦」である。しかし、そんなことはなかった。Bが潔かった。先に謝ったのだった。そして、Aも謝った。

 

はい、めでたしめでたし。とは、ならなかった。もう少し続く。しかし、その後の手紙のファインプレーであったり、他の子の声掛けもあったりで、平和は訪れた。

 

勧善懲悪をなくしてしまったクラスで、私はうまく裁けない。それは、悪いとか、これは、よくないとかあまり言えていない。

 

それはよくないと思う。それで悲しかったんだって。などと言うにとどまることが多い(メディエーションってやつに近い)。お家の方からは頼りなく映るかもしれない。ビシッとうちの子を傷つける子をやっつけてほしいと思うかもしれない。けれど、子どもたち全員が通過点である。ここで、ピリオドを打つわけにはいかなない。分かると信じて、これ以上あなたは悪い存在なのだと知らしめなくても、買われると信じて働きかけていくほかない。

 

上ばきが飛んで

今日は、上ばきが飛んでから1週間。無事に1週間上ばきが飛ばないことをキープできた。全員のお陰である。本当によく見て友だちを止めてくれている友だちがいるのだ。擦り切れないように見守って行かなきゃ。

 

そして、やっぱり、一人ひとりと話す時間が必要だなあ。そういう親密さに欠けているのかもしれない。一人ひとりを呼んで、個別に話して、ほめたい。コンプリメントしたい。良い奴ばっかりなはずなんだうちの学級は。

 

今日は、席替えで号泣している子がいた。いつも助けられて本当にいい人だなって感謝しているんだって。このクラスにいて、そういう思いも生まれる子もいるのだと驚いた。もちろんその相手の子のおかげなのだけれど。私は参ってしまっていると「早くこんなクラス変わりたい」と思っている子ばかりなのではないか、と迷宮に入ってしまっているのだった。

 

1Hぐらいなら自分たちで乗り越えてくれる。体育の準備体操を見ていなくても終えて体育座りで待ってくれている。本当に私がいないってときは、何とかしてくれる。そういう場面をよく見る。

 

「ん?」

 

「お前ら、オレに甘えてんな?」

 

とも思う。そう思えると少し面白い。というか可愛く思えてくる不思議。

 

切り替え

私が小5・6のときによく言われたのが「ケジメをもつ」だった。

 

日本中の学校の課題なんじゃないだろうか。

メリハリ、スイッチング、ケジメ。どれでもいいから、手に入れてほしいものだ。前にはを空気を可視化」するなどをして示したのだけれど、(私が)飽きてしまった。

 

そして、どれだって「出来なくはない」ということが分かっていた。本当に切り替え(気づき)さえすれば、よいクラスに出来る子どもたちなのだ。

 

切り替えの言葉を考えてみたらきれいにまとまった。たぶん3月まで使える道しるべになると思う。

 

  • うるさい↔︎しずか
  • ふざけ↔︎しんけん
  • ウケる↔︎おもしろい
  • じぶん↔︎みんな

 

左側でいるときと右側でいるときを意識してほしいのだった。左側が相応しくないときに続くと誰かしらが嫌な気持ちになっているとした。

 

ピンチの時には「本当にそうか?」問い直すことも大切だと考える。感覚でやばいってのは違うだろう。よーく考えて、4月と比べると、彼らはきちんと変化していて感謝がうかんだ。

 

  • 授業の準備をしてくれた人、ありがとうね。

  • 全員座っているよね、ありがとうね。

  • 静かをつくってくれて、ありがとうね。

これらの3つが、全然出来なかったのだから。大したものである。もっともっとと思うのだけれど、上手くいかない。けれど、確かに子どもたちは伸びていて、決して批難の対象というわけでも、ダメ出しを要する存在でもないなあと思い直した。

 

そんな日ー。

 

追伸

あと「あと一回」これは、ダメだ。怪我の元である。