かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

私はいったい何をしているのだろう

マスクし忘れたーハピペンです。明日喉が痛かったら今日のせいだわ。不健康。顔色悪い。脆弱な身体。走らねば。。。

 

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ああ、私はいったい何をやっているんだろう

そんなことを思う。

 

「ああ。」

 

「……ああ。」

 

「幸せだ。」と。

 

バランスが良い。幸せで仕方がない。

 

今の人間関係のバランスをとても気に入っている。

 

執着がない。しがらみがない。嗜癖的でない。お互いが自分の行動をコントロール可能で関わっている。なんて、心地よいのだろう。

 

何をしても良ければ、何をしなくても良い関係。有り難い。

 

たとえば、twitter。いつも「イイネ!👍」をくれる人がいる。なんだかんだ。嬉しい。でも自分はあまりしない。基本的にまた見たいツイート用に「イイネ!👍」を使っているためである。だからと言ってそんなことを微塵も気にされていないだろうと思う。そういう心の豊かな人たちとのつながりが嬉しい。教員のフォローも前からしてくれていた人だけに絞った。疲れる。そのためにツイッターを始めたのではない。フォロワー数?その優先順位は高くない。自分のためのツイートなのでよい。拾う人は拾うだけのもの。

 

「私は何をやっているか」

  • ブログ(自分の学校生活の垂れ流し)
  • ツイッター(自分の思いつきの垂れ流し。会いたい人と関われる場所。)
  • 120%の人(小学校の先生を120%楽しむ毎日)(定期的に会う。超楽しい発散の場。やりたかった語りと人に会うを兼ねている。学校やキャリアや学んだことのデトックス。正直100回を目指して続けたいくらい。決して依存的な意味ではなく。)
  • ソーシャルの人たち(好き。尊敬する。コミュニケーションの達人たち。癒される。好き。)
  • 家(悪くない。お互いのコントロールが強くない。私はもう少し生活を大切にしようと思う。それで幸せになれる予感がしている。)
  • ブリーフセラピーの人たち(コンプリメントが上手すぎる。いつも優しくしてくれる。笑顔もチャーミング。あたたたたかい。)
  • DAFLの人たち(同じ星の下で生きていると思うとちょっと元気になる。いろいろな人のことを思い出す。自分にも社会も目の前の人一人ひとりにも向き合っている毛布のような人々。)
  • 職場の人たち(人それぞれってことを教えてくれる。このメリハリがあるから、プライベートの人を愛せる。そういう意味ではなくてはならない存在。)
  • 特別支援のつながり(定期的な学び場でかかわれている。セーフゾーン。こちらも癒される。)
  • 前の職場の人たち(たまにご飯する。癒される。ちやほやされる。有り難い。期待を感じる。前を向きたくなる。)
  • 私を頼ってくれる恩人(面白い。そういうの嫌いじゃない。共に生きていこうじゃないか。好きに私を使ってくれ!と思う)
  • 同級生(1年に一回会うか会わないか。何気ない担当。面白い人々。)
  • これまで傷つけてきた人たち(許してほしいし、常に今の在り方を許したいし、許す。希望としては、私のことなんか実際どころか記憶からもポーン!と放っておいてどうか幸せに生きていってほしい。都合の良いことを言っているのは分かっている。ただそう思う。そして、そう思うことにした。)

 

とにかくこのバランス感覚がとてもよく個人的には安定している。一年の中でこの関係を維持しようとすると一年終わるような気がする。その他枠はあるかもしれないけれど、近隣での平日のかかわりがもう一枠と、年間行事の遠方2つぐらいが限度かもしれない。何かが落ち着けば何かを増やせるかもしれないが。

 

ただ、今はこのバランスがとても幸せ。

これが、満たされている。枯渇状態がない。あれもこれもそれも、ここまで生きてきて、出会ってきた人たちのおかげだと心から思う。もう出会えなくなった人がたくさんいる。でもその人たちのお陰で学ばせてもらった。だから、出会えた人ばかり。

 

埋め合わせとして「3つの感謝」を自分に課す

  • 出会った人々の幸せを祈って感謝すること
  • 自分が依存せざるを得ないものに感謝すること
  • 平穏を生きられることに感謝すること

みなさんを思い出したとき、幸せを祈ります。

 

これは、謝罪や償いというよりは、そう思う。そう思うだけで、そう思えて仕方のないことで、そうしたいだけなんだ。そうすると決めて、そう思うことに決めたことなのだ。