かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

163日目:水鳥の会(仮)

首が寒い!ハピペンです。

「先生ー!授業中マフラーしていていいですか?」と私が聞きたい。不健康な先生ですみません。

 

面談も半分を過ぎて

なんとか。かな。

 

いろいろあるのだけれど、諸々の考え方は「木村先生」に助けられて、気持ちよくやり取りができている。

たとえば

間違ったら「ごめんなさい」と謝る。学ぶ機会を与えてもらったら「ありがとう」と感謝する。

実はそれだけのことなのである。

 

たとえば、何か起こってしまった。感じさせてしまったなら(重大事案は別として)、対応するしかない。批判だ、否定だ、拒否だ、責任だと言う前に、「ごめんなさい」か「ありがとう」。そして、対応できる方法で対応するしかない。周りの人々で力を合わせて。なんとか。

 

だから、最終的には感謝が付きまとう。

「すべてが、有り難い」ということ。そう思えるとよい。

前回長い間懸念を示された方も、今回ではその時のことにご配慮くださる。もはや、自分への言いやすさは武器ってことでいいや。そのため、一般的な様子よりも、言われやすいと思う。引き出してしまいやすいのだと思う。それは、かなりポジティブなことと、捉えておこう。そして、それを打開できる自分であるとも信じておこう。「ああ、どうしよう、どうしよう」ではなく(まあ、そう思ったことは全然ないのだけれど。ただし、それこそ、お家の方々、そうした人生の先輩方が、寛容で、視野を広くもって、クラスのことや私のことを理解してくださって、見守ってくださっている。信じて見守ってくださっている。そういうことに守られて、私は生きられている。そういう意味では、返せる誠意は返さねば。と、思いつつも、それは、それで気負いすると、また返って誤った方向へ転びそうなので、ふんわりと頭の中に置いておくことにしよう。信じてくださっていくることに、応えられる限りは応える。そういったところに落ち着く)。

 

メタ認知

あと、自分なりに上手く話せたと思うことは、自分も相手も俯瞰して言葉を挟めたときだった。

話している中で、今気持ちや感覚のズレがあるときに、それを言語化する。それこそ、そこには「ごめんなさい」か「ありがとう」が存在する。

どういうことかと言うと、たとえば、教師の側で「よくあること」にしてしまっていても、お家の方にとっては「連絡がほしかった」なんてことがある。そのズレがあったときに、はっきり言ってくださるお家の方もいれば、飲み込む方もいる。

それ気がついたとき、そのズレを言語化して謝ることができた。

「今私が感じたことなのですけれど、私とお家の方とで、事実に対する捉え方温度差があったかと思います。お家の方の思うように感じてご連絡できていなくて申し訳ありません。」といった気持ちを伝えることができた。

 

「謎のカウンセリングマインド」から感じるコミュニティについての一言

本当に有り難いことで、お家の方は小学校の先生というものに親しみをもってくださっている。

 

数が月モヤモヤしていたもの(学校以外での子どもに関すること)を吐き出してくださる。少しでもノーマライズして、私にできることがあれば、年度末までの中で動いてみたいと思った。

 

そして、そうした、ちょっとしたモヤモヤを抱えてお家の方々も子育てをされているのだと思う。力を合わせられたらいい。

地域で長く付き合うからこそ、お家の方同士で越えられないモヤモヤもあるのだろうね。

「あるコミュニティ」は、常に「あるコミュニティでないもの」を生み出してしまうのだなあ。

 

水鳥にエンカウント!!

そして、花金。ハピペンの花金らしからぬ、エンカウントがありました。

 

水鳥のビブリオバトル日記

こちらのブログのアヒル隊長にお会いしました!

 

穏やかで、同じ温度感を感じる方です。

あっという間な、3時間半。

ナチュラルな時間を過ごさせていただきました。

 

失敗をご自身の学びに転換させ、実際に行動を変えられている人です。そんな学び方のできる人になりたいですよね。

 

特別支援や絵本についてなど、またシェアする時間をつくっていけたらと思います。

ありがとうございましたq(q'∀`*)