かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

192日目:構造の問題2

本当に悲しい。最寄りに着くのが21:06って。おい。

 

今日は以前の勤務校に行ってきた。6年になった子どもに今年一目会っておきたいと思ったためだ。

 

そうしたら、隣の子どもたちが「わーーー!」っと来た。今日ほしいのは、そっちじゃない。

 

なんだかんだ、1年いたっていうことは、仲間にもなり得るのだと知った。よく交流していたクラスの先生が廊下で見つけるなり話しかけてくれて、10分ほど現状について語ってくれた。心を許してくれている。また同僚として認めてくれている。だって「もと」だよ?11か月ぶりで、そんな今の困り感を話してくれるなんてさあ。ねえ。当時には分からなかったことだ。もっと、私が他者を信頼すべきだということも学ばされるなあ。何人かの人が、同じ時代を生きた同士として歓迎してくれるのだった。

 

子どもたちもそう。その交流していたクラスの子どもたちが「わーーー!!」っと「嘘?!」みたいな感じで、グーーーッと来た。有り難いことだ。けど、反対に、今見ている子たちは、来年の同じ時期に伺ったって、そういう反応はしないだろうなあ。

 

違いは……

 

遊んでいたかどうか

おそらく「遊んでいたかどうか」だ。交流の担任は授業準備をしていたんだ。仕方ない。だから、遊べない。それだけなんだ。私は、少しゆとりがあって遊べる時があった。それだけのこと。その記憶。いいとこ取り。それで、歓迎される。そして、私は今の子どもたちとそんなには遊べていなくて、きっと、相手をしてくれない先生と思われているかもしれない。もっと遊んでやればよかった。遊び方を教えてやればよかった。今の自分は、かつてのその交流の先生と同じだ。委ねて、自分たちで遊べるようになってくれと、淡い期待を抱いて放っている。本当は、そう。自分が去年感じたのと同じように、混ざって教えて遊ぶべきだった。私はなんてずるいだろう。できないことを強いている。ああ、最低すぎる。

 

それもこれも……

 

コミュニケーションの構造の問題じゃない?

ある単元がある。それに対して、なぜ六者六様の準備をしているのだろうか。聞けば「別にこれじゃなくてもいいんですよ」といいながらプリントを渡される。ごめんな!!タダ乗りして。それも、そうなんだけど、話し合いたいわ!なんなんだろうみんなで時間を食い潰して。

 

そんなで、割と教えてくれるAさんに、予防線を張って「今度教えてください」って言っておくと、それを聞いて「Bさんも優しいですよ」と言われもする。それは、分かっているのだけれど、もう拘束がすぎて、そちらについては、やたらには聞けないって状態に来ている。どういうことかと言えば、私にとっては「なるべく聞くな」というように感じてしまっているし、時間を決めていないから都度聞くと嫌そうだし、その時の焦りとか気分で対応が違うのだ。つまり、優しい時もあれば、優しくない時もある。その中で「優しい時」が、いつもでない方の場合、私はそんなには手を出せないと思ってしまうのだ。コンスタントに一年の中で気分が安定している人に私は声をかけたくなってしまう。そういう人は大人で、相手思いなことが少なくないからだ。私もそうありたいと思う。もともとのスタンスを「いくらでも聞いてくださいね」って人間でいたい。

 

ダブルバインドはダメです。身動きできません。

ダブルバインドとは、日本語訳で「二重拘束」という意味です。 二つの矛盾した命令をすることで、相手の精神にストレスがかかるコミュニケーションの状態です。

(検索より)

f:id:penguin-kn:20190207204211j:image

矛盾した命令に混乱 子どもを追い込む「ダブルバインド」 - ライブドアニュース

 

そこに第3の拘束が起きると人は不適応を起こすんだから。こんな自分が危険に対してリーチ状態の職場でずっとは、やっていけないわ。本当に精神衛生がきつい。自分さえ良ければってのも嫌だ。だんだんと敢えて槍玉に上がっている可能性も感じなくはないが。要は、新しい人が困ることで変わる職場もなくはないのだろう。それで、来年度、再来年度に向けて、この学校がよりよくなるなら、自分が犠牲でもいいが(というか、みんな滅入っている可能性もある。評価についてである)。

 

そんなわけで、帰りが遅くなるのだけれど、今日はいいこともあった。それこそ人生のダブルバインドだ。人生とは良いこともあり、悪いこともある。その矛盾があるからこそ、私はこの「生きる」ということから身動きが取れず、「ああ、また、生き続けるしかないな」となるわけである。なんて幸福なこったろうね。

 

ありがとう2017年。