かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

193日目:男の子の育て方

私は男子の子育てに向かない。と思い込んで。本を買う。困ると大体3冊あたりをつけて買う。単なる気休めなんだけど、知らないジャンルについては、まず、感覚そのものがないからいいかも。

 

さて、日報、日報。 

言わない気にしない傾向VS.マイルールによる乱暴

うだうだとモヤモヤしていた件について一休み。

 

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これにもいろいろな構造が働いているなあと思う。

どうしても、クラスの中でここだけが、ピンと来る成果を出せていない。4月から残ってしまっている。いろいろなリフレーミングをして気を確かにするも、なかなか苦しくなってきた。

  • それだけ学びが大きいはず
  • お互いが変わるチャンス
  • これだけ変わらないってことはお互いに何かあるってことだ
  • 私も成長のチャンスだ
  • 諦めなければその分の対応力が上がるぞ

そう。まだ、何かあの子もその子も、そして私も。何か足りないから、これが起こっている。誰かのせいにしたり、気のせいにしたりしている場合ではない。そう思って、向き合う。

 

「言わない気にしない傾向 VS.マイルールによる乱暴」これは相性が悪すぎる。「言わない気にしない子(Aさん)」がアザを作って帰る。そして、聞き取りがされ、教室での「マイルールによる乱暴な子(Bさん)」の様子が話される。お家の方には心配される。管理職に連絡がいく。こちらからご連絡する。夏休み前には、Aさん本人の不安感がある話を聞き対応していたが、今回は本人よりはお家の方の気がかりの方が大きい様子だった。クラスが荒れているのではないか、という懸念も?(まあ、まったく瀬戸内海みたいに静かではないかな)。

 

 いやーそれにしてものたうち回った。

 

AさんにしてもAさんのお家の方にしても、とてもBさんに譲歩してくれており「Bさんが怒られるのもかわいそうだからAさんは先生にもなかなか言えない」とお話してくれた(きつく指導してほしいというオーダーもあったため、怒る指導をしたときもあった)。相手方が、その角度だったら、Bさんにも思いが容易に入るだろうなあと思い、敬服した。すごい温かさだと思った。子どもに対する策はすでに月曜日にうっていて、今日振り返ってみると、ひとまずはお互い気持ちよくすごせたようだった。毎日いっしょに振り返りをすることにした。とりあえずの健全な一日があったからこそ、こちらからも連絡ができたわけだ。そして、Bさんの方にも連絡をしていろいろな抑止力となりそうなものを少しずつ行って少しでも抑止につながるよう対応をさせてくださいと話した。

 

いろいろな角度からのBさん理解があり、Aさん方のBさん理解も深い。これが11か月共に過ごしたということなのだなあと思いもする。

 

他人なんだよなあ。その中でやっている。お家の方も11か月、もしつながれていたら、子どもはにょきにょき育つだろうなあ。そのためには、私が土日に集めて、学(楽)習会なんかを開いたらいいんだよね。ちょっと夢としてあるなあ。

 

そして、Bさんの家にも連絡。まだお家の方はいなかった。なんとなくBさんとお話した。Bさんの声は家だと際立って穏やかだった。何をしているか聞くと、マリオだった。少し情報収集した。思ったのは、学校で話すのとまた違った脳を使って話してくれているようだった。どちらかというと、落ち着いて改めて考えてくれている感じ。こういう作戦もあるのだなあと思った。学校ではどうしたって覚醒しているというか、起きた脳で行動しているし、友だち関係といったヒエラルキーなんかも気にした思考をしているかもしれない。それが解けるというような感じがした。いろいろな時間・場所・方法でその子と接触して、情報を聞き出すことで、本意に近づけることもあるのだなあと思う。覚えておこう。そして、Bさんはどちらかというと刺激に素直に反応するほうなので、聴覚情報だけに集中して話せるのが良かったかもしれない。ある時対面している私は不機嫌な顔で接しているかもしれないし、ノルアドレナリンを出させて脳を逃走・闘争状態にしてしまっているかもしれない。放課後の私というのも良い方に働いて、私たちの雰囲気は一時休戦、副音声的、試合後の控室みたいな感じだったのかもしれない。コミュニケーションって面白いなあって思う。

 

その後、お家の方とも話す。お忙しい様子だったが、話せてよかった。実際、こういったことになることが予測できていないわけでもなかった。だから、4・5月にはよく電話して、Bさんの良さを伝えながら、情報共有をしていた。トラブルについての電話から関係がはじまるのでは嫌だったためである。そのためか、とても協力的で有り難いと思った。子どもともコミュニケーションしているし、ご自身のこともよく見られていてこちらも敬服する。いい人だ。そうしたAさんとBさんがうまくいかないことや、AさんとBさんなど、それぞれのお家の方同士がつながりきれていないことには、多少の違和感がなくはないが。

 

ところで、お話している際に思ったこと。

これは、どちらのお家にもなのだけれど、「私はあなたの味方です」ということを常々思いながらお話した。実際、お家の方も味方なのだと思った。「同じ時代を生きるのは子どもたち」ということ。これがキラーワードには、なかなかならないだろうな、と思っていて、「とはいえ、うちの子が!」という思いは当然誰だってもつはずだ。しかし、今回のお家の方たちは、それを乗り越えてくれている人たちだと思った。どちらも、そういう目をもっている。サポーター、教育者として、相手の子を見てくれているように思う。尊敬する。連帯感があった。(こう改めて書くのはいいな。私にとってとてもいい捉え直しになる。)

 

まとめてとして、というか。思うのは、やっぱりどの家にもそれなりの構造はあるってことだ。好きで、そんな状態になっているというわけではなくて、仕事の都合、兄弟の都合、気質の都合、コミュニケーションの都合、立場の都合、時期の都合。いろいろあって起こっている。話をすることで、そういうのが見えてくるだけでも、少し安心がある。原因不明でどうしようもない状態ってわけじゃないと思えるからだろう。

 

私の中では、いくらか、悪循環のどこにメスを入れればいいかが見えてきてよかった。その突破口をくれたのはAさん方だし、Aさんだった。いつか、Bさんも私も今よりもっと感謝する日が来ると思う。

 

それにしても、苦しくなくはなかったなあ。

本3冊買っているしね。

 

本も助けになる

本はセルフケアになる。自分のやっていることや考えによってトラブルを引き起こしているかもしれない時。自分のしていることのすべてが間違いではないということを思い出させてくれる。かたや、苦しませてしまっている子がいるというのも事実なのかもしれないけれど。

 

あるサイドでは、忌み嫌われたとしても。

 

あるサイドにおいては、ラッキーな先生な可能性もある。

癒しになる言葉だ。

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落ち着かない・話を聞けない・マイペースな 小学生男子の育て方

落ち着かない・話を聞けない・マイペースな 小学生男子の育て方

 
男の子を伸ばす父親は、ここが違う! (扶桑社文庫)

男の子を伸ばす父親は、ここが違う! (扶桑社文庫)

 

 

 

どうしてこうした本を買うかと言えば、自分は「男子を育てること」が不得意なのではないかと思ったからだ。それが分かったのも、このインフルエンザ週間の中でお休みした子のお家へ電話ラッシュをしたおかげ。女の子のお家の方には、とても明るい声色で対応されたように感じたのだった(あくまで感じただけか)。男の子の方もネガティヴってわけではないけれど、ちょっと受ける印象が違った。こうした印象をもっている時点で自分の中に「何かあるな」と思った。特段、苦手意識があるとかってわけではないのだけれど、しかし「男の子の育て方」ってジャンルを意識したことがないなあと思って、そこから、何か歪みは生まれているかもしれないと思った。

ただ、あまり「父親の男の子の子育て」についての本は見つけられなかった。とりあえず気休め的に読んだ。

 

「何かあったらどうするのか?!」

「何かあったらどうするのか?!」

Aさんから言われた苦しい言葉だ。そして、ジョーカー的な言葉だなあとも思う。必殺的。そう言わせなきゃならないような状況に追い込んで申し訳ないとも思う。しかし、とても向き合う価値のある言葉だなとも思う。その何かについて検討・検証して、対策を練ることが、安心につながるのだとよくわかる。

学校の対応はどうなっているのかという問いもあった。やはり総じて、Aさんの思いや考えは適切だなと思う。お陰様で私も動けた。有り難い。

 

理解あってこそ

一にも二にも子どもを見ている姿勢をお家の方に示すことは重要である。そして、情報収集と降伏。ヒルルクを思い出す。

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トラブルを起こす子というのは、教師の側も「どうなってんだ!」と追い詰めたくなる気持ちも0ではないだろう。しかし、そういうことではない。それでは何も解決しないことは100も承知で、そもそも子どもたちは成長過程で「何か起こり」さえしなければ、ほとんどの問題行動は消失していくだろうと思う。

バークレーの考えと同じように。 

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そうしたヒルルクの態度であったり、心理療法的な見立てであったりで、なんとかここまで来た。悪いようにはしない。好きを示す。良いところを伝える。そう見ている。そこからの「しかし」が重要。

 

改めて通常の学級

発達や特性を読み切って通常学級で支援をするのは不可能だと感じた。ただし、授業力があれば、それは可能かもしれない。

児童のサポートが長けていても、授業がおぼつかないと、その力を発揮する猶予がない。これは、同時に学級経営力もら関係する。規律づくり、もとい「子どもが守る規律づくり」がうまくないと児童サポート力は発揮できない。その他大勢にどう鎮まっていただきつつ、サポートをするかが鍵だ。何より学年の先生との連携が重要とも言える。単元の進捗等が共有され妙な焦りさえなければ、ドタバタした授業を減らせると思う。見通しがなさすぎて、苦しい。不安に完敗。そう、要は、自分だって「何かあったらどうするんですか?」状態なのだった。

 

ああ。この責任のたらい回し。その終点を自分にしてしまう人は生きづらいね。

ああ。嫌な予感は的中しないや。相変わらず。

ああ。そして、やっぱり私の学びになったなあ。それに、また一つ人間を好きになってしまったよう。あなた方を信じたくてたまらないのさ!