かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

【G.Wの振り返り】キャンプ編【その1】

G.Wシリーズ一つめ(その3まで書き終わるだろうか)。

キャンプ編

27日(金)のこと

「よっしゃー!1ヶ月走りきったぞ」

その夜。11か月耐え抜いた結果、出会えた前任校での先輩に会う。

いろんな話をしてくれるステキな先輩です。名言が多めです。

  • 夜明けは近い
  • 人って食べたもの、聴いた言葉、出会った人でできてる
  • あとは気合いと根性

面白かった。月一開催を希望中。

 

28日(土)のこと

その流れで翌日、朝からキャンプだったー!

親友と二人でキャンプ。

良い&濃い!!

「共通体験」「時間の共有」ができて嬉しかった。

なにより「いる」が本当にただ可能なところが素晴らしすぎる。たぶん、生まれてはじめてとも言えるような「いる」だった。「ケア」的であった。それは、いろいろ世話を焼いてもらったためだ。準備も片付けもたくさん。終始温かくてふわふわな気持ちでいられた。なまけものすぎてすみません&甘えさせてくれてありがとうすぎる!!

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いい空。

そう思えるは、行きからテントを立てるまで、4時間ほどくつろぐ間、雨(むしろ嵐)だったからこそかもしれない。

お陰で、夕方の空とこの巡り合わせにより高揚した。

世の中は何かすることを求められすぎていて、私も「意味」ばかり求めすぎていて苦しい。キャンプの時は、時間を楽しんでいい本来の無許可が降りていた。

 

そして、成果を出さなくていいということは、生活だと思った。成果を出さなくていいことが、生活なのかもしれない。

 

その時のおいしいに出会う。

その時の日差しに思いを馳せる。

その時の自分の言葉を漂わせる。

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翌朝も良かった。快晴だった。

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外に出ると、水分という水分は凍りついていた。驚いた。寒くなかったのも、貸してもらった寝袋や準備してもらった床のなんともいえない素材たちのおかげだった。空気がおいしいとはまさにこのことで、私は呼吸するたびに笑気を吸入しているかのように、スッと眠れる感覚があった。そのため、夜もわいわいと長々と修学旅行的なムードで語り合えるかななんて思い込んでいたのだけれど、自分が気絶するように眠ってしまったため、それは適わなかった。でも、次回があるだろうから、そういうのを苦にしないことにした。そういうのが全部「いい」って思えるのが、「このつながりの醍醐味」であると信じて。

 

キャンプというのは不思議で、キャンプという階層にいれば、何もしていなくても「キャンプをしている」ということになる。釣りも似た要素があると思う。釣り糸を垂らして待っているだけでも「釣りをしている」ということになる。

 

何より糧は、「意味や価値や成果や学び」ではなく、「その時間があったこと」だ。これが、私を長生きさせると思う。もしかすると、現実からのちょい逃げなのかもしれないが、それが幸福なら、本当はそれを誰も否定できないはず。それなのに、なんとなく後ろめたさのある自分の既成概念に違和感だなあ。

 

反対に、これが「責務」になると息苦しいだろうなあとも思う。釣りが仕事であり、今日魚を獲得しないと、空腹に悩まされる。生殺与奪。家に帰れば「どうして食べ物をもってきてくれないの!」と罵られる。実際家族もげんなりげっそり目も当てられないような顔をしている。稲作はやっぱり、悩みや不安のあるところへ外国から伝わってきて、すがる思いで取り入れイノベーションに成功したのかもしれない。しかし、狩猟時代と比べると、はじまってまだ間もない。不安や悩みからはじまったものが実際に便利で普及していく。ただ、それが人々のミスリードだったら?なんてことを想像してみる。とても意味のないことだ。あの革命も戦争も本当はミスリードでした。すみません。人間の歴史はそうでないことを願って学んでいるように思う。ミスリードでなかったはず、でも、だとしたら、次にミスリードでなくするにはどうするか。「おいおい、そもそものリードの『目的』は何なのか」を考えないと。こんな風に「前提」の違いで、幸福が変わるところが、私は人間らしいと思うし、面白いも思う。ああ、なるべくたくさんの人の「その前提」が生きやすいものになってほしい。こうして、また、いつもの寝言を言って日は暮れる。

 

そんなこんなで、結局「『体験』はほんの少し、人を変えるなあ」と思う。

 

ありがとう