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【G.Wの振り返り】そして「新世界」へ(in大阪編)【その3.1】

G.Wシリーズの中のちょっと寄り道。

twitterについてのことを大阪で考えた。ちょうど「新世界」にいる時の話(本編を終わらせろよってね)。

 

ふと、目にする言葉や偶然を大切にしたい。

「新世界」に来てそんなことを思った。

大丈夫だ。信じていいのだ。そう背中を押された気分になる。それが「新世界」。

 

うだうだしている気持ちにも、異世界からのメッセージで、「大丈夫だよ、顔を上げていいんだよ」という気がした。

 

予言が辛い

大人たちの5月の連休明けへのしょーもない予言があちこちにひしめき合う。

 

ツイッターなんか特にそうで、自分の心をケアするために、「隙を作らないぞ」「本腰入れるぞ」「熱心に子ども見るぞ」「手を抜かないぞ」というような意気込みのこもったメッセージが並ぶ。

 

なぜそれを見ていると辛くなるのだろう、と考えてみる。表面上では「自分のできていないことを掘り起こされるからだろう」と思った。人には気持ちや思考、生活自体の流れがあると思う。たとえば15分後に支度を始めようとか、明日になったらあの本を読もうとか。そういう自分のリズムをたった2回ボタンを押すだけで崩せるのがツイッターだ。

 

それは、見るたびに「自分」を崩す(足元からも、横からも、時空を越えて)道具になる。自分に不信感を抱く機会になる。それもはじめのうちはいい。「そうだ自分も頑張るぞ!」となる。しかし、積み重なる自己への裏切りは、定額無制限でないエネルギーを消費し続けることになる。会ったことのない人の信用できるかできないかよく分からない言葉たちは、無邪気にその音韻だけで土足で不安にメスを入れてくる。半分は自分の想像力のせいなのだけど、言葉を見るたびにとにかく消耗していく。

 

どうしてこの問題が起きるのかというと、ハピペンは、ツイッターをどう使おうとしているかの温度の差だと思っている。

大きく分けると

  1. 魅せるツイッターか
  2. そうでないかツイッターか

という風に分けられる。

 

そこからさらに

  • 自分の単なるつぶやき
  • 自分の訴えとしてのつぶやき
  • 影響者としてのつぶやき
  • 仕事に関することのつぶやき
  • 自分を振り返るつぶやき

などいろいろな分類があり、自分の想定と違うつぶやきがTimeLineに流れると、知らないうちに消耗しているのだと思った。

 

そして、近い立場の人のつぶやきほど、消耗するように感じた。あくまで、距離というよりは立場だ。反対に、距離が近い人のツイートは消耗しにくいと感じている。タイプの違いとも言えるかもしれない。

 

私の場合、自信がある人のツイートに消耗するような気がする。フォロワーを増やすためのHowには、「ネガティヴな発信をしない」なんてことが含まれているから、それに影響されている人はわんさかいるわけで、なおのこと居辛さにつながる。面白いのは、そういう人の方がフォロワーが確かに多いという事実が少なからずあることで、そうすると、自分もなんだかんだそういうことを意識しているからか、マイノリティであることが苦しく「そこにいてはいけない存在」感に煽られる。

こういういろいろが合わなくて、ツイッターを苦しいものと感じるようになった。と思う。だから、フォローを「watcha」の半年前程度を基準に戻した。

私にとってツイッターは、知らない「分野」で関心のある情報を得るためのものだった。仕事に有用な情報を得るためではなかった。やはり、そもそも根本から自分が崩れていたのだと改めて思う。

 

「表面上は」と上で言ったように。本当はもう少し違うダメージの受け方をしているかもしれない。それは、最近読んでいる本からの影響なのだけれど、やはり「ある状態を問題でないとするから、ある状態を問題である」としてしまうということで、「ある解決を想起するということは、ある事柄を問題としている」ということである。つまり、「あーだ、こーだ」と「良い施策」が掲げられるほど、それだけ事態は(そう、自体は)「問題がある」とされる、もう少し正確には「問題が在る存在だ」とされる。そのダメージだ。

 

これは、なんというか、サブリミナル的なダメージとうか、潜在的に自分の中にあるものに、言葉が無意識的に触れて起こっているようなものだと思う。意識に上がってこない扁桃体と海馬の電気信号のやり取り。もう少し突っ込むと、twitter界のたくさんの人の、自分(ないし周囲の人々)に、「問題がある」というどちらかというとネガティブ(私の勝手な判断)な、発信や感覚(言い過ぎれば自傷行為)に、痛みを覚えるのかもしれない。

 

行き過ぎた考え。超行き過ぎた考え。ただ、人のせいにして、twitterから離れたいだけかもしれない。ただの揶揄。妬みや僻みも含むかもしれない。もはや自分ではよく分からない。ただ、あえて言語化するとこんな感じで。まあ、結局、一言で言えば、少しtwitterから離れたいなっていうそれだけのことです。私が自信なく、不安の塊ってだけです。すみません。