かならず幸せになれるいきもの

特別支援×ブリーフセラピー×アドラー心理学

お祝い②

今日は、午前中は風呂で本を読んでいて、お昼は、ベビー用品を見に行って、夜は再びお祝いに誘われてな一日である。

 

読んだ本

序盤しか読めていないけれど。また、新しい見方をもらった。

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

 

 

「知」についての視座。

 

「私が知らないことを知っている人」との対話に入る能力のこと

 

子どもたちが学校で学ぶのはある種の「双方向的なコミュニケーション」の進め方

 

私たちが学校へ行くのは、「適切な仕方で質問をすると、自分ひとりでは達しえない答えのありかを知ることができる」ということを学ぶため

 

教育を受けるとは、「私は……ができない」「私は……について知らない」という不能の様態を適切に言語化する仕方を学ぶ

 

教育を授けるとは、どうすれば、どこへいって、どのボタンを押せば、求める情報とスキルにアクセスできるかを教えること

 

「……ができない」「……を知らない」など、不能の在り方について相手になにごとかを伝えるためには適切な語法を習得しておくことが必要である。

 

それは、自分の位置を語る語法である。

 

これには、「俯瞰的な眺望」を語ってみせること、それには、「俯瞰的な視座」に立つことができなくてはならない。

 

「マップする」ことは、Aの見方とBの見方を行き来すること

 

どれほど知的ストックが幼稚で貧弱であっても、「俯瞰的な視座」を仮設できる人間ーー自分自身の目線の高さを想像的に超えることのできる人間ーーは、自分の不能をかなり適切に言語化し、ひとに伝達することができる

 

教育を受けることによることの意味は、なによりもまずかかる「俯瞰的な視座」を想像的に獲得することに存する

 

もうお分かりだろうが、この「想像的に措定された俯瞰的な視座」のことを私たちは「師」と呼ぶのである。「師」とは「弟子をマップする視座」のことである。

 

「俯瞰できるようにする」という言葉大切だと思う。ただ「じゃあ、どういう目で俯瞰するのか?」ということをまた考えていかないとならない。

 

ベビー用品

珍しく母を連れ出す。

なんとなくそういうタイミングにいる。

 

概ね、何を買ったらいいのかということが、少し見えてきた。これなら、家からでも選んで帰るかもしれない。準備をせねば。

 

31のアイスを食べた。アナ雪のやつが美味しかった。

 

昼は、焼きそばを食べた。今は、中華料理屋で、焼きそばを頼むのがマイブームである。

 

夜は友人宅へ

年齢がほとんど変わらない友だちの家に「呼ばれる」って、稀だなあ。

 

ラグビーなんか見たり、なんでもないいつも通りの話をしたり。

 

こういうのが続いて、たまに会えるのだったら嬉しいなあ。面白かった。ありがとうございます。

 

クラムボンのワインも飲んだ。ものすごくあっさり飲めるワインで、個人的には、記憶に残った。

 

この日は、そんなに大袈裟に大したことはしていなくて、主体的にタスクに向かっていたというよりは、タスクに流されているような一日でもあったかな。

 

大変嬉しい三連休の出だしである。